プロレスリング・ソーシャリティ【社会・ニュース・歴史編】

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ロシア(また)ドーピング?-これぞ「作られた英雄」、オリンピックの気色の悪さ

 いま開催中の北京冬季オリンピックでは、競技外の「判定」「ドーピング」等々が話題である。

 中でも、ロシア――いや、ROCロシアオリンピック委員会)――の女子フィギュアスケート選手カミラ・ワリエワ(15歳)のドーピング疑惑は重大視されている。

 しかしながら、ロシアの選手がドーピングしたなどと聞けば、大半の人は「またか」と反射的に感じるだろう。

 ロシアにとってドーピングとは、ほとんど通常運転のようなものである。

 それは旧ソ連時代からのお家芸と言っていい。

 2014年のソチオリンピックで、ロシアは国家ぐるみでドーピングを行っているとして、以後は国家としてのオリンピック参加を禁じられた。

 しかしまず第一にアホらしいと感じることに――

 結局「ROC」として、ロシア選手はオリンピックに普通に出場し続けている。

 世の中の子どもさん、世の中にはこんな「抜け道」と言うもバカらしい抜け道があるのですよ。

 これが国際社会というものですよ、これが国際的「忖度」というものですよ……

 と、世の大人たちはぜひ教えなくてはならない。

 オリンピックではドーピングは絶対禁止だからと言って、違反してもこれで済むのである。

(もちろん今後、どの国が国家ぐるみでドーピングしても同じ措置になるはずだ。

 「中国オリンピック委員会」だとか言って……)


 第二にアホらしいと感じることは、少なくともロシアは、ここまでしてオリンピックに勝ちたがってる、金メダルを獲りたいと思っているということ自体だ。

 これは、ロシアに限った話ではないのだが……

 いったいオリンピックで金メダルを獲るのが「国家の名誉」「国民の誇り」だとかいうことになるのは、実にバカらしいことではないか。

 世界で一番走るのが速いのは誰か、世界で一番泳ぐのが速いのは誰か、

 そんなことは全くどうでもいいことである。

(こう思っている人は、日本や世界に密かにたくさんいるだろう。)


 もしそれが栄光であるとしても、それはその人個人の栄光であって、赤の他人がなぜそれを誇りに思うのか全く脈絡がない。

 少なくとも私は、ロシアの選手が金メダルを獲ったから「ロシアってスゲー」などとはカケラも思うことがない。

 そんなことで嬉しがるのは、精神異常の一種ではないかとさえ思う。

 
 いや、「そのジャンル」が好きだから嬉しく思う、というのならわかるのである。

 フィギュアスケートファンのロシア人なら、それは確かに地元の選手が勝てば嬉しいだろう。誇りにも思うだろう。

 しかし別にフィギュアスケートを普段から全然見てなくて、ただ単に「自分の国の選手」が勝ったから嬉しいだの誇りに思うだの、これはまともな感性だろうか。

 
 よくプロレス界では、「作られたヒーロー」ということが言われる。

 それは一般に、「その会社・団体が推している(から、活躍している)選手」の意味である。

 当然ながらそういう選手は、ファンから厳しい目を向けられる。

 だが国家からドーピングしてまで(させられてまで)活躍するような選手は、まさにこれこそ「作られたヒーロー」としか言いようがない。

 だいたいドーピングとまでは行かないながら、国家の税金を投入して国家的プロジェクトとしてトレーニングするような選手というのは、おしなべて作られたヒーローとしか言いようがないではないか?

 そういう選手は初めから厳しい目を向けられるのが自然であり、その目をひっくり返すだけの奮闘を見せるのが筋ではないか。


 しかしつくづく思うのは、オリンピックというのはいつか「国別」というのを止めるべきだということである。

 全員が個人参加とすべきだということである。

 それですら、「出身国別のメダル数」を国家の名誉・誇りとするという気色の悪い風習は止められまいが――

 国家プロジェクトで(納税者の金で)ドーピングしてまで勝利を目指す、というさらに気色の悪い風習は、少しは根絶できるのではないかと思うのである。