プロレスリング・ソーシャリティ【社会・ニュース・歴史編】

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「オリンピックはアスリート貴族を作るだけ」か?-貧民が貴族を支持する時代精神

 東京オリンピックが終わった。

 そうなると次の国民的関心事と言えば、(コロナを除けば)「眞子さま結婚問題」である。

 しかしここでは、オリンピックについて書こう。

 今回のオリンピックの当初予算は約1兆6,000億円だったらしいが、結局の総費用は4兆円近くになるらしい。(週刊ポスト2021年8月13日号)

 いやはや、すごいもんである。

 そして今回の東京大会に限らないが、結局オリンピックは何を生んでいるのだろう。

 それは「アスリート貴族」「スポーツ貴族」を生むこと(だけ)ではないか、というのが素朴に思いつくことである。


 今回、フィリピンは史上初の金メダルをオリンピックで獲得した。

 その女子重量挙げ選手は、政府や企業から総額1億2,700万円の報酬を獲得したという。(その他の特権あり)

(⇒ J-CASTニュース 2021年7月28日記事:金メダルで報酬1億2000万円! フィリピン史上初の快挙でお祭り騒ぎ、五輪で「人生変わった」女子選手)

 一方、フィリピン国民の年間平均所得(2018年)は、約31万ペソ(約68万円)らしい。

 フィリピンはお祭り騒ぎだと言うが、ちょっとフィリピンの勤労国民にナマの気持ちを聞いてみたいと思ってしまう。

 フィリピン人は、これを本当に喜んでいるのだろうか。

 我が身と引き比べて打ちひしがれている人は「変わり者の少数派」なのかどうか、調べてみたいと感じるのである。

 
 しかしフィリピンのみならず、日本でも世界でも金・銀メダルを獲った選手がスーパーヒーロー・スーパーヒロインになるのは「当たり前のこと」である。

 彼ら彼女らがCMに出てテレビに出て大金を稼ぐのを、みんな「喜んで祝福する」のがスタンダードなのだ。

 通称ぼったくり男爵のバッハIOC会長らは「五輪貴族」としてみんな叩くが、しかし選手らは「アスリート貴族」「スポーツ貴族」となっても誰も叩かない。
 
 (バッハ会長も、元オリンピアンのアスリートなのだが……)

 
 今回の総費用4兆円というのは異例の膨らみ具合にしても、どこの国で開催しようとオリンピックは1兆円くらいかかるものなのだろう。

 それで結局何が確かに残るのか、生み出したと言えるのか、と言えば、

「メダリストというアスリート貴族の名声と、その獲得するカネだけ」――

 というのは極めてひねくれた考えかもしれないが、しかしあなたもたぶん、ふとそう思ったことはあるのではなかろうか。 

 なにしろあなたは(私もだが)、オリンピックから何一つ実利を得てはいないのだから。

 
 しかし興味深いのは、このアスリートが貴族になるという現象を、全世界的にほとんどみんなが祝福し、称賛し、支持している(としか見えない)という「時代精神である。

 世界には格差と貧困に苦しんでいる人が言うまでもなくゴマンとおり、

 なんで自分はこの低賃金と劣悪環境から抜け出せないのかと打ちのめされている人もウヨウヨいるというのに、

 それでもアスリートが大金持ちになるのを祝福するという精神である。

 これ、昔なら、それこそ無産者の大衆暴動が起こっていたのではなかろうか。

 少なくとも、そういう機運が醸成されるのが社会的に見て取れたのではなかろうか。

 しかし現に、今の世界ではそういう気配がまるでない。

 こう言っては大変申し訳ないのだが、フィリピンでさえそうらしい。


 宇宙時代の未来を描いたSF小説などでは、その社会は君主制や貴族制であることが多い。(「銀河帝国」とかである。)

 おそらくそれは、作者が「今と違う世界」を描くためにそうしていることが多いと思われる。

 しかしたとえそうであっても、その未来社会像は当たる可能性がかなり高そうではなかろうか。

 とはいえ未来の貴族制社会は、多くのSF小説のように「貴族の支配に民衆が抵抗する」のではなさそうだ。

 それは「貴族の栄光を民衆が支える・称賛する・賛美する」社会になりそうな気配がする。

 これこそが、人類が民主主義社会を経過した後にやってくる新・貴族制社会なのかもしれない。

 そしてもちろん民衆は、そういう社会が良い・正しいと思っているからこそ、そういう時代を作るのだろう。