プロレスリング・ソーシャリティ【社会・ニュース・歴史編】

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テレビや記事で「これはプロレス」と聞いたとき思うこと

 テレビニュースでもネット記事でも、「これはプロレス」という言葉はちょくちょく聞く(目にする)。

 どうも世の中では、本物のプロレスのリング外でも頻繁にプロレスは行われているようだ。

 特に、国内政界や国際政治の舞台ではかなり盛んらしい。

 もちろんここで言われるプロレスの意味は、「なれ合い」「出来レース」「喧嘩してるフリして裏では話ができている」というものである。

 プロレスファンがどう思おうと何と言おうと、それが一般世間の見方であるのは認めなければならない。

 いや、認めないことはまず不可能であるほど、世間ではプロレスとはそういうものだと思われている。

 そういう風に感じていない人は、むしろプロレスファンとは言えないくらいだろう。


 さて、しかし……

 テレビやネットで「これはプロレス」という言葉を聞くたび見るたびに、思わずにいられないことがある。

 つい最近もテレビでは、「アメリカと中国の外交交渉はプロレス」であると、国際政治学者(か国際政治コメンテーターか忘れたが……)が言っていた。

 そこで私は、思わずにいられないのである――

 もしアメリカと中国がプロレスをしていると言うなら、プロレスというのはものすごく重要なものではなかろうか。

 プロレスとは何か、どういうものであるか、研究しないでいられるものだろうか、と。

 アメリカと中国の外交交渉というのは、世界中の外交交渉の中で最も重要なものの一つのはずだ。

 そこでプロレスが行われているというのに、プロレスが重要でないなんてことがあるのだろうか。

 むしろ

「プロレスも見ないで国際政治を語るな」

「プロレスも知らないで政界が(政局が)わかるか」

 と言っても過言ではない気がする。


 国際政治の場で、国内政局の場で、プロレスが行われていると(少なくとも一部の)専門家は言う。

 だったら専門家たるもの、プロレスを研究するか最低でも見ておかないで何としよう。

 自分の専門領域で行われていることを――しかも、まさに自分自身がそうだと言っていることを――研究しないし見もしない、それどころか興味も関心もないというのは、専門家として自己否定みたいなものではないか。

 それは別に専門家だけの話ではなく、一般人も同様である。

 まるで自分は物事の裏をわかっているかのように「あれはプロレスだ」と言いながら、しかし自分はプロレスなんて見たこともないし見る気もない――

 というのは、結局その人は何にもわかっちゃいないし、わかろうとも思っていないということの自白みたいなものである。

 

 もちろん今後も、テレビやネットで「あれはプロレス」と言う人は枚挙に暇ないだろう。

 しかしそのとき同席者の誰かは、ぜひ「で、あなたはプロレス見てるんですか」と聞いてほしいものである。

 「見るわけないでしょ、そんなもん!」と答えるなら、

 「見てないのにこれがプロレスだってわかるんですか」と重ねて聞いてほしいものである。

 いや、単刀直入に「これがプロレスだというのは、つまりどういう意味ですか。プロレスを知らない視聴者も多いと思うので」でもよい。


 それにしても、アメリカと中国が本気で争ってない、対立してるフリをしてるだけ、それがプロレスという意味だ、と言うのなら――

 その裏には、なぜ両国はそんなことをしているのかという、ものすごく奥深く広大な事情が横たわっているはずである。

 そしてまた、アメリカと中国は世界覇権国の座をかけて本気で対立している、という話が並行して(もちろん真面目に)世界中の知性によって語られているのをどう解釈すべきか、という問題もある。

 国際政治や国内政治の場でプロレスが行われている、と語るのは、それで笑って済ませて終わり、という話でないのは確かだろう。