9月19日午後4時前、東京都の八王子市役所の窓口で高齢者男性が切腹未遂事件を起こした。
自殺を図ったと見られるが命に別状はないという。
(⇒ 日テレNEWS24 2018年9月19日記事:八王子市役所に包丁を持った高齢の男 自分の腹を切りつけたか)
毎日のニュースを見ていると、意外なほどに「自分の腹を切りつけた」という話にちょくちょく出くわすことに、気づいている人は多いはずである。
この時代に、21世紀に、いまだあの切腹(ハラキリ)を敢行する人が相当数いるというのは、ちょっとした驚きである。
(確かに、今回のように未遂のことが多いが……)
外国人が日本に抱く古典的なイメージとして「フジヤマ、ゲイシャ、スキヤキ」というのがあるが、これに「ハラキリ」が加わることもある。
切腹という日本独自(と言っていいだろう)の自殺の仕方は、これほどまでに世界的に有名である。
もちろん日本人で切腹のことを知らない者はなく、今でも人の責任を糾弾するとき「腹切れ」と言うのは普通のことだ。
しかしそれにしても言葉だけでなく、実際の行為まで生き残っているというのは――
もう「腹を切る」というのは、日本人のDNAに染みついているのかもしれない。
だが、かくいう私にしても、
「非常に切羽詰まった気持ちになったら、腹に何かを突き立てたくなる」
というのは、何だか少しはわかるような気がするのである。
そしてあなたが日本人(の男)であるなら、やっぱり少しはわかるのではなかろうか。
いったいこれは、何だろう。
世界中のどんな民族も、こんな衝動は本当に少しも起こらないものなのだろうか。
日本人にだけ、先天的にそういう衝動が組み込まれているなんてことがあるのだろうか。
しかしおそらく、地上波テレビで時代劇をやることがほとんどなくなった現代、きっと昔(昭和時代)よりは「切腹死・切腹未遂」する人間は減っていると思われる。
もし今も忠臣蔵とか時代劇が放送され続けていたら、やっぱり我々は切腹死・切腹未遂のニュースをもっと多く目にしていただろうか……