10月15日のオーストリア下院(日本で言う衆議院)選挙で右派・国民党が第1党となり、その党首セバスティアン・クルツ氏(31歳)が首相に就任する見通しらしい。
たった31歳で国の指導者(オーストリアには大統領がいるが、ドイツのように象徴的な存在である)になるというのは、現代世界では最年少のようだ。
つい最近フランス大統領になったエマニュエル・マクロンさえも39歳である。
しかもこの人、2013年にはわずか27歳で外務大臣になって今回選挙前までその任にあったとのこと。
いったいどういう人なのだろうかと思うのだが、日本と違って世襲政治家ではないようである。
この人とその党の「右派的政策」――移民に厳しい政策の是非はともかくとして、こんな若いのを(世襲でなく)トップに選べるというのは、疑いなく西欧世界の強みである。
西欧がこういうことをやれる限り、非西欧世界はいつまで経っても西欧に勝てない日々が続くのだろう。
ところでオーストリアと言えば、言うまでもなくあのヒトラーを生んだ国である。
第二次大戦中はナチス・ドイツと一緒になったことへの反省から、移民に厳しい態度を取る「右派・保守派」は、おそらくは日本と同じように復古的・反動的・逆コース的な目で多くの国民に見られ、“アブない連中”扱いされてきたのだろうと思う。
しかしやはり日本と同じように、右派や保守派や民族主義は、いまや国民の中のメインストリートにあるようだ。
(間近に迫った日本の衆議院選挙でも、だいたいは自民党の大勝が予想されている。)
私にはこれは、やっぱり世界的に「戦後幕府」が退潮している証に見える。
「戦後幕府」とは要するに、「左派的な雰囲気」ということである。
日本において端的に言えば、それは――
朝日新聞的・毎日新聞的・東京新聞的・その他多くの“反権力的”地方紙の論調や、日弁連的な主張に該当すると言えようか。
戦後幕府は特に第二次大戦で敗北した国々で成立し、長らくそれらの国を支配してきたというものの、ここに来てようやく“幕末”の時代になってきたようだ。
江戸幕府が尊皇攘夷の嵐に倒された/掘り崩されたように、世界各国の戦後幕府は民衆の支持や“雰囲気”を失って衰退しつつある。(完全に滅亡はしないにしても)
現代の欧米での「尊王攘夷」に当たるのは「移民排斥・反移民」「自民族主義」なのだろうから、その類似は気味が悪いほどだ。
(もちろん日本において「攘夷」の対象なのは、北朝鮮・韓国・中国の「特定アジア三ヵ国」である。)
そしてなぜ戦後幕府が衰退してきたのかと言えば、一言で言えば「飽きられた」からだろう。
これはもうどんな政権にも思想にも“社会の雰囲気”にも当てはまることであり、逃れる術はたぶんない。
たとえどんなに「正しく」とも、人はいつか必ず飽きる。
今の新日本プロレスの王者オカダ・カズチカがたとえどんなに「完全無欠で、真に強い」のであろうと、本当に何年も何十年も王座防衛を続ければ、ファンは必ず嫌になるはずだ。そうなる前に新日本の人気は大幅に下落しているはずだ。
もしプロレスが「作り物」だとすれば、どうして「作る」のかという答えの一つは、まさにこういう変化のなさをなくすためである。
日本人の我々は、鎌倉幕府も室町幕府も江戸幕府もみんな滅んだことを知っている。
いや、およそ幕府だろうが王朝だろうが、いつか絶対に滅ぶのである。
「この王のためなら/将軍のためなら命がけで忠誠を尽くす」という人がいくら多くても、何十年か何百年か経てばそんなのもあまりいなくなるのである。
だから、戦後幕府的な左派的な雰囲気が1945年以来70年も続いたなら、それはそろそろ薄まったり滅んだりもするだろう。
そしてまた右派的な雰囲気は飽きられ、嫌がられ、また他の雰囲気が取って代わる――
まったく世の中は、真面目に考えるのが虚しいほどに諸行無常である。
(とはいえ、現代が「幕末」なのか「幕府中興の祖」が現れる前夜なのか、未来から振り返らないとわからないのだが……)