2020年11月25日は、あの「三島由紀夫事件」すなわち三島由紀夫の死から50周年の日となる。
もちろん今でも、三島由紀夫の名を知らない人はいない。
どんなアッパラパーの女子校生でも、少なくとも名前くらいは聞き覚えがある人である。
しかし今、三島由紀夫の読者というのはどれくらいいるものだろう。
その名前や作品名だけは知っているが、しかしその著書を読んだことはないし、正直読もうと思わないという、いわば「教科書上の人物」の一人になっているのではなかろうか。
それ以外の作品名を一冊でも挙げられる人は、ごくごく少数だろう。)
それにしても三島由紀夫の死は、ほとんど「戦後日本を代表する、象徴する」と言ってもおかしくないほどの大事件だったものである。
なんたって、自衛隊の駐屯地に自分の軍団と一緒に乗り込んで「決起を促す演説」をバルコニーでやった上、なんとその直後に割腹(ハラキリ)自殺である。
こんなこと、2020年の現代だって起きはしない。
いや、1970年というあの時代だったからこそ起きた、ものすごく特異な事件だったと言うべきか。
また、今から振り返って見れば――
なんだかまるで、「逆・日本赤軍」みたいな行動でもある。
言い方を変えると、何とも言えず「1970年代的(それも70年代前半的)」な事件に見えるのである。
そして今の若い人、三島のことを少しでも知った若い人から見れば――
三島由紀夫というのは日本赤軍の面々と同様、「アブナい人」の一人としか思えないのではなかろうか。
「盾の会」という国粋主義者の軍団を作り、そろいの軍服をあつらえる。
ボディビルに打ち込み、ムキムキの体を作る。
挙げ句の果てに、なんとまあ「自衛隊の基地に乗り込み、自衛隊員に決起を促す」なんてことを本当にしてしまう。
そして最後は、割腹自殺。
これだけみれば、「私設狂信右翼団体の指導者」イコール危なすぎる人、と言われても仕方ない。
ありていに言えば、日本赤軍とか民青とかいう、狂気的な内ゲバをやってた人たちの同類――
と感じるのが、最も素直な感じ方ではあるまいか。
別に、何でもひとまとめにして「いいこと言った」と得心するつもりもないが……
三島由紀夫も盾の会も、日本赤軍も民青も、やっぱりみんな「1960年代~70年代の子」だった、という印象は拭えない。
この日本には半世紀前、そういう時代があったのである。
今から見れば異世界に見えるような時代が、
ああいう個人や集団や出来事が、「バ~カ」「頭おかしい」という反応でなく、真面目に衝撃的に受け止められた時代があったのである。
ああ、昭和は遠くなりにけり。
追憶の昭和……