11月22日、サッカーワールドカップでサウジアラビアが(優勝候補の一角である)アルゼンチンを破り、大金星を挙げた。
これを受けてサルマン国王(は高齢なので、実質トップのムハンマド王太子)は、翌23日を急遽休日にすることを決めた。
これは日本では、「いいノリ」「即決ぶりがいい」などという反響を呼んだ。
しかし、私はサウジウォッチャーでもなければイスラム圏ウォッチャーでもないが――
ここまでサウジアラビアでサッカーが大人気を博しているとは、全然知らなかったものである。
そういえば世界最大のプロレス団体であるWWEも、年に一度の首都リヤド大会はもう恒例になっている。
(女子レスラーは、いまだ肌を隠して出場しているが……)
サウジアラビアと言えば「イスラム諸派の中でも厳格なワッハーブ派」に統治される国として有名であるが、どうも最近はどうしようもなく西欧文化を受け入れ、何なら席巻されていると言ってもいいような状況のようだ。
少なくとも「厳格」というイメージは、ほとんど感じることができない。
さて、ここで気になるのは、イスラム原理主義者たちのことである。
私はイスラム原理主義者でも何でもないが、こういう「国を挙げてサッカーに興じ、強豪に勝ったから翌日を休日にする」なんてノリは、どこからどう見ても「西洋かぶれ」の「背教者ぶり」に映るのではないだろうか。
今のサウジアラビア、何ならカタールとかドバイとかの「西欧かぶれの大繁栄」ぶりも、見ていて苦々しいどころではないのではないか。
これは、大胆で無根拠な予想かもしれないが――
今後のイスラム原理主義勢力の攻撃対象は、サウジアラビアを筆頭とする「西欧かぶれの繁栄を謳歌する背教者ども」にシフトしていくような気がする。
真っ向からの対立者(ここでは欧米勢力)よりも、むしろ「身内の裏切者」の方がさらに許せないというのは、いつの時代も人間の心の通例である。
また、サウジだろうとカタールだろうと、必ず繁栄の爪はじきにされている貧困層(あるいは不遇層)はいるはずなので、そこへ浸透していくことも充分に見込みがありそうだ。
しかし本当にそうなるとすれば、やはり欧米にとって「世界を欧米化」することは、自分たちを攻撃対象にされる危険を上手く反らす、最良の選択肢ということになる。
つまり世界を欧米化することは、欧米にとって一石二鳥というか、とにかく損はないことなのだ。
またまた無根拠な予想だが、次に世界を震撼させるテロが起こるのは、まさにサッカーワールドカップの大会ではないだろうか。
イスラム原理主義の側に立ってみれば、この大会が、そしてサッカーというものが、欧米の文化侵略の最たるものであるのは明々白々だろうと思う。
(しかもサウジチームの監督はフランス人である。)
かつて1972年、ミュンヘンオリンピックではパレスチナ武装組織がイスラエル選手を殺害するテロ事件があった。
そして21世紀、今度は「イスラム圏への西欧文化浸食」の象徴だろうサッカーへ、攻撃の牙が向けられる。
これはけっこう可能性のあることだと思うのだが、どんなものだろうか。