プロレスリング・ソーシャリティ【社会・ニュース・歴史編】

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「若い副市長」と「年功序列主義=経験重視主義」の自己破綻

 8月25日記事の続きだが――


(3) 三重県志摩市で、環境省から出向の33歳副市長が辞職

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 一つ疑問に思うのは、このヘリコプター遊覧をやろうとしている業者、「挨拶すべき自治会や学校などを教えてほしい」なんてことを、いきなり副市長に頼んだのだろうかということである。

 副市長は担当課を教えたと言うが、こういうことってまず担当課に――

 担当課がわからなければ、市役所の代表電話にでも(「こういうことはどこにお願いすればいいですか?」などと)聞いてみるものである。

 しかしこれはまあ、わからないことでもない。

 その業者が何かのイベントや面会とかで副市長と直接会う機会があり、その場で聞いてみたというのはありそうなことだ。

 そして加藤倫之副市長(33歳。環境省から出向)は「予算・政策面でもほとんど関与させてもらえなかった」そうだから、どこが担当課か即答できないので後日改めて電話か何かで伝えた、ということもありそうである。

(きっと、企画部門や観光部門の課なのだろうが……)


 しかしそうなると、副市長は市役所の誰かに「こういうことってどこが担当?」と聞いたはずである。

 誰か(おそらく複数人)は、「ヘリコプターによる遊覧飛行計画がある」と知っていたことになる。

 そしてどうやらネットで検索してみると、志摩市上空のヘリコプター遊覧というのは、あの伊勢・志摩サミット以来ずっと継続ではないにしろ、期間限定で複数業者が何度もやっていることなのである。

 副市長もその他の職員も、どこに挨拶に回るべきか回答するくらい市長の耳に入れるまでもないだろう、と思うのは無理もないことと言えるかもしれない。

(これは役所に限らず、どこの会社にでもありそうな「日常風景」のような気がする。)

 それなのに竹内千尋市長は「ヘリコプターの運航は市民の安全、安心にかかわることで、事前に責任者である市長に報告すべきだ。特別職(である副市長)としてあってはならない」とオカンムリだというのだから――

 加藤副市長もいよいよ堪忍袋の緒が切れて「やってらんねーよ」と辞職することになったのだろう。

 そもそも加藤副市長も、環境省から派遣されてきているのに「ケンカ別れで副市長を辞職」などしては、環境省に戻ったときの自分の立場・評判・評価が悪くなる」と考えないはずがない。

 理由はどうあれこんな羽目に至ったのでは、「経歴にキズが付く」――

 いや、それをキズだと周りの人間は見なすことは、重々わかっているはずである。
 
 それがわかってて辞表をたたきつけるのだから、よっぽど市長からの「ネグレクトいじめ」が酷かったのだと思われる。

 ある意味加藤副市長は、腹の据わった人と言えるかもしれない。

(だが、そもそも市長が決裁するようなことはその前に副市長が決裁するはずだし、市役所内のナントカ委員会の議長は副市長が務めることが世の中では一般的らしいから、「予算・政策面で関与できない」などということは考えにくいはずなのだが……)

 

 さて、ここからが本題――
 
 33歳の副市長というのは非常に若いと誰しも感じるが、実のところ30代・40代が副市長になるというのは、全国の市町村を見ればそんなにも珍しいことではない。

 しかしもちろん、その大部分が中央官僚であることは言うまでもない。

 市町村生え抜き(プロパー)の職員が30代で副市長になった例はたぶん絶無で、それどころか課長・部長・ナントカ監になったケースもほぼないと断じていいだろう。

 皆さんはこれを、「当たり前だ」と思うはずである。

 そんなことなるわけないだろうと感じるはずである。

 だが、なぜそう思ったり感じたりするのだろうか。

 なぜ中央官僚が若くして地方の副市長になるのは当たり前で、生え抜きがそうなるのは当たり前でない(どころか「おかしい」こと)と感じるのだろう。

 それは、突き詰めて言えば――

「身分が違うから」

「(能力の)レベルが違うから」

 ということになるはずである。


 しかしここでひっかかるのは、日本では「国と地方は対等」が原則かつ正しいこととされていることである。 

 しかもこれは、国と地方が両方とも一致して同じことを言っているのだ。

 ところがお互い実際は、まるで逆のことをしている。

 中央官庁の官僚が30代で地方の副市長になるのはありふれているが、生え抜きの30代が副市長になることはまずない。

 そして、地方の市町村職員が中央官庁の課長・部長・局長に派遣されることも絶対にない。(係長さえムリだろう。) 

 これが親会社と子会社の関係でなくて――いや、対等でない「上下関係」でなくて何なのか。 

 
 そしてもう一つ引っかかるのは、市町村役場の内部の話だ。

 中央官僚は優秀で能力レベルが違うから副市長になってもいいのだというのなら、市町村役場の中でも優秀で能力レベルの高い人は必ずいる。

(実際、東大・京大・早慶レベルを卒業した人が、市役所・県庁・区役所で働いていることもよくある。)

 ではなぜその人は30代で課長にすらなれないのだろうか。なぜ人事部は、市長は、そういうことをしないのだろうか。

 もし実際にそう問われれば、「いやあ、ウチは年功序列が原則でして……」とは絶対に答えまい。

 おそらくその代わり、「やっぱりいくら優秀とは言っても、経験が……」と答えるはずである。

 しかし、ここで破綻が生じる。

 30代の市町村職員に経験が足りないのなら、30代の中央官僚に地方行政の経験はゼロである。

 それなのに後者は副市長になれる(そもそも、市町村の方から来てくださいと頼んでいる)ということは、結局、経験なんてものより能力の方が大事だと自白していることにならないか?

 そしてそれならば、30代の優秀なプロパー職員を課長に据えない理由は、全く成り立たないことになる。


 もっとも、多くの市町村が副市長に中央官僚を迎えている理由は、当然のこと中央(国)とのパイプが欲しいからである。

 だからして、能力なんて二の次なのがホンネだろう。

 そしてまた、「30代のプロパー職員を一気に抜擢しない」真の理由は――

 それをやったら組織内部で激烈な嫉妬が起きるからである。職場の秩序を乱すからである。

 いくらトップが年功序列を思い切って止めたいと思っていても、二の足を踏むのは当然と言えるだろう。

 誰も「仲間」が、しかも「後輩」が、自分に一気に差を付けて上に行ってしまうことに平静ではいられない。

 それを能力差だから仕方ないと淡々と受け入れることは、聖人にさえ難しいことである。

(それができるのは、精神的世捨て人だけだ。)

 しかしそんな存在が「外部」から来るならば、まだしも承認できる。

「身分が違う」中央からなら、なおさらである。


 どうもこれは、日本社会で天皇制が生き残ってきた理由と一脈通じるところがありそうだ。

「女の敵は女」ということはよく言われるが――

年功序列を止められないのは、我々自身に原因がある」ということは、もっとはるかに正しいことを言っているようである。