先日まで山梨市の市職員収賄不正採用事件について連続した記事を書いたから、というわけではないが――
なぜか今週は「副市長」にまつわるニュースが連続して目に付いた週であったので、少しずつ触れてみる。
(1) 福岡県太宰府市で、市長が副市長を解職
(⇒ 朝日新聞2017年8月25日記事:太宰府副市長を解職 市長「このままでは改革進まない」)
(⇒ 毎日新聞2017年8月25日記事:福岡・太宰府 芦刈市長、副市長を解職)
だから自分の気に入りの人物を副市長に据えようとしても議会の承認が得られず「難航し」、やっと承認を得ることができたのは「市役所に勤続50年」の(議員には馴染みのある)生え抜きお爺ちゃん副市長・富田譲さんくらいしかいなかった、ということだろう。
しかし解職の理由として「体質が古いから」「指示しても報連相がなく従わなかった」「これから風通しは良くなると思う」などとクソミソに言うのは、やはり珍しい部類である。
いくら全国で毎年のように副市長の解任は起こっていると言っても――
そしてその真の理由は、芦刈市長が言ったことと同じようなものだったとしても――
さすがに口に出しては言わないことが普通だろう。
(大半は、副市長が自分から辞表を出して“穏やかに”円満辞職するものだと思う。)
しかしこの6月の議会では、「改革が進まないのを副市長らのせいにするのは言語道断」として市長に対する問責決議案を全会一致で可決していたというのだから、芦刈市長の前途は依然として多難である。
次の副市長選びも、またも難航しそうではないか。
ところで解職された富田さん、市を通じて文書で「私なりに努力をしてきたつもりですが、市長の目指すまちづくりに届きませんでした」とコメントしたそうだ。
これだけ見ると、むしろこの人は穏やかな慎ましそうな人に感じる。
しかし穏やかな文面を書く人が穏やかな人間とは限らないのが、人間の恐ろしくも難しいところである。
(とはいえ電波系の文章を書く人は、やっぱり電波系だと思うが。)
(2) 愛知県西尾市で、市長が副市長を解任
(⇒ 中日新聞2017年8月25日記事:西尾副市長を月末に解任の意向 市長、PFI見直しで)
(1)では「解職」とされ、この(2)では「解任」とされている。どうして違うのだろう。
会社法では、
●解職 … 選任された会社役員に付加された「地位だけ」を解くこと。
●解任 … 新たに選任された取締役などの会社役員の任を解くこと。
と、使い分けがされているようだ。
つまり「解職」されると、依然として役員ではあるが「肩書き」はなくなる。
「解任」されると「役員自体でなくなる」ということだろうか?
しかし本記事(1)でも(2)でも「副市長でなくなり、市職員(の特別職)でもなくなる」ということなのだろうから、使い分けする意味はないように思われる。
それはともかく西尾市という自治体は、PFI(プライベート・ファイナンス・イニシアチブ)やPPP(パブリック・プライベート・パートナーシップ)といった分野で全国的に有名な先進地である。
要するに、民間活力の導入に積極的な市であったということだ。
しかし今年6月に市長に当選した中村健さんは、PFIの全面的な見直しを主張していた。(つまり民営化反対派である。)
増山副市長は(PFIを積極的に推進した)前市長時代に、副市長職とともにPFI責任者に当たる「資産経営戦略監」を兼任していたというのだから、いいか悪いかは別として、いつまでも副市長にしておく方が確かにおかしい。
これは(1)に比べれば、ずっと「まっとうな解任」だろう。
(しかし増山さんは、自分から辞表を出すことは拒んだから解任に至ったらしい。
「あくまで市のためにはPFI推進が正しいと思っている」という路線対立の故なのか、それに加えて人間的確執もあるのか、そっちの方が強いのか、それは定かでない……)
この副市長の加藤倫之(ともゆき)さん、33歳と非常に若い。
それはもちろん、中央官庁からやってきた官僚だからである。
この件については次回記事でやや詳しく書くのでここではあまり触れないが――
むろん中央官僚が志摩市の副市長になったのは、志摩市の方から「来てください」と中央官僚に頼んだからである。
それとケンカ別れするというのは、これも非常に珍しいことだ。
副市長の言を信じるなら、彼は市長と市役所からすっかり「仲間はずれ」「ぼっち」にされていたようだ。
民間のヘリが飛ぶのを市長に報告しなかった、それが破局のダメ押しになった、というのも、それ以前から両者の関係がとっても悪かったことをイヤでも確信させる。
環境省から来た官僚をこんな形で追い出す(形は自発的な辞職でも、実質は追い出しに等しい)なんて、環境省(イコール国)との関係が悪くなるのはわかりきっているのに、なお市長さんはここまで副市長を嫌うのである。
この市長と副市長、よっぽどソリが合わなかったのだろう……
(4) 大阪府四條畷市の副市長公募で、37歳元スーモ編集長の女性が内定
これはたぶん、「イイ話」なのだろう。
しかし四條畷市の副市長の年収が1430万円なんて、これは全国の副市長の標準的な水準なのだろうか。
それはもう、老いも若きも1700人も応募があって当然だと思われる。
(そして中には、よっぽどヘンなのもいただろうと思われる……)
ところで私は、公職者だからって「高い給料を(税金から)払うのはケシカラン」とか「カネで釣るのはケシカラン」とは思わない。
というか、いい人材を採用しようとするなら、高い給料を提示するのが当然であり最善策かつ王道だと思っている。
やれ「給与は低くても応募してくる熱意のある人を」などというのは、現代の精神主義に他ならない。
安いカネで「いいモノ」「いいヒト」を手に入れようなんていうのは、まして「そうあるべきだ」などと思うのは、どうしようもなく果てしなくムシのよい話である。
むしろ全国の自治体のどこかは「年収5000万円」を設定し、副市長やその他幹部職員を募集してみてはどうだろう。
石田三成が自分の所領の半分を割いて猛将・島左近を召し抱えたというのは、(ホントかどうか知らないが)明らかに「美談」「イイ話」と受け取られている。
年収5000万円出せば、グローバル企業の辣腕幹部とかだって引き抜いてこれるだろう。
いや、自分から今の仕事を辞めて応募してくるかもしれない。
それが「市民感情」からして受け入れられないというのであれば――
「市民感情とは、本当は優秀な人物を受け入れようとしていない」と解していいのではないかと思われる……