プロレスリング・ソーシャリティ【社会・ニュース・歴史編】

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丸川珠代「この愚か者めが」ヤジ-女性と女子アナへの幻想断つべし

 1月31日の国会予算委員会で、立憲民主党の長妻政調会長が――

 民主党政権時代(2010年)の「子ども手当」採決時、自民党丸川珠代参議院議員が飛ばしたヤジについて、岸田総理に反省を求めた。

 その過去映像を見ると、丸川珠代議員、本当に

「愚か者めが。このくだらん選択をしたバカ者ども絶対忘れん」

 と、正確に言っているのである(笑)

 そして私も、全然知らなかったのであるが――

 当時の自民党は「この愚か者めが」と丸川議員の顔イラストを緑色で書いたTシャツを、公式グッズとして1500円で売っていたというのである(笑笑)

 そして今回の10年越しの指摘を受け、丸川議員は

「ヤジについては、総理のご発言を真摯に受け止め、反省すべきは反省したいと思います」

 と(元女子アナらしい、と言うべきか)実に澄んだ声でコメントしている(笑笑笑)

 あくまで(同じ自民党の)岸田総理のコメントを受けて反省するのだということで、敵対政党に対して反省するんじゃないぞということだろう。


 さて、ちょっと前まで新聞やテレビでは、

「女性ならではの感性で」「女性の感性を生かした」

 などというフレーズが、やたら使われていたものである。

 私には丸川議員の「愚か者めが。このくだらん選択をしたバカ者ども絶対忘れん」という言葉と語勢に「女性らしい感性」など全く感じることができないのだが、

 なんなら「男そのもの、しかもチンピラ男そのもの」の感性しか認められないのであるが、

 今時こういうことを言っては糾弾されるのだろうか(笑笑笑笑)


 さて、笑うのは止めて真面目に言うと――

 私は常々、「もしこの人が昔の王様・殿様に生まれていたらどうだっただろう」という空想をしばしばするタイプである。

 そういう空想で言うと、現代の庶民に生まれているから庶民で済んでいるのであって、

 もし昔の王様・殿様に生まれていたらとんでもない暴君・暗君になっていたろうと感じる人は、そこらへんに結構いる。

 この丸川議員というのも、もし昔の女帝にでもなっていれば、あの西太后とタメを張るくらいにはなっていたろうと思うのは、私だけだろうか。

 そして現実の丸川議員は元は女性アナウンサー、いわゆる女子アナである。

 女子アナと言えばいまや、誰もが認める「セレブ」職に他ならない。

 いったいどうして現代日本で女子アナがそんな地位を獲得したのかというのは、それはそれで興味深い。

 しかしそれはさておくとして、とにかく女子アナと言えば「憧れの職業」「スゴい地位」とみなされている。

 だが、ここでも私はしばしば思うのだが――

 女子アナだろうと国際政治学者だろうと(笑)弁護士・医師だろうと、

 だから感性が高いとか品性が高いとか、そんなことは一切全くない。

 ニュートンがいい人だとかアインシュタインは高潔だとか、そんな公式はありはしない。

 もちろん女子アナは清純だとか常識があるとか、そんなものはバカだけが信じる妄想である。

 こんなことは言うも愚かだが、「女性は優しい。基本的には優しい」とかいうのも、とんでもなく性差別的な決めつけだ。

 男も女も、また職業も地位も財力も、その人間の性格や品性とは一切の関係がない。

 人間だれしも個体であって、属性は邪魔なだけである。


 今回の「愚か者めが。このくだらん選択をしたバカ者ども絶対忘れん」映像は、女性や女子アナへの幻想を覚まさせるという教育的な効果はあるだろう。

 そして口幅ったい言い方だが、あなたも人を見るときは、

「もしこの人が昔の王様・殿様・女王・女帝だったら」

 と想像してみればいいと思うのである。

 そうすれば彼や彼女を見るとき、「ああ、こいつは革命戦争で吊るされそうな人だ」などと、冷静な目で見れるのではなかろうか。

 

 

「育休中のリスキリングに支援」で批判殺到-「休み中に学べ」は虎の尾

 1月27日の国会参議院代表質問において、岸田首相が「失言」答弁をした。
 
 育児休業中のリスキリング支援を行う企業に対し、国が支援することを検討してはどうか――

 という質問に対し、岸田首相は

「育児中など様々な状況にあっても、主体的に学び直しに取り組む方々をしっかりと後押ししていく」

 と答弁。

 これに対して

「育休は休みじゃない」

「そんなことしてる暇があるわけない」

「やっぱり子育てってものがわかってない。自民党はやっぱりオジサン集団」

 などとの非難が殺到しているのだ。


 この件について、私はやや岸田首相に同情的である。

 なぜならこの質問をしているのは、同じ自民党の議員だからである。

 その仲間が「リスキリングを支援する企業に、国が支援してはどうか」と提案しているのに、

「いえ、育児休業は休みではありません。

 そんな暇はないと思います。

 だから支援は検討しません」

 なんて、面目を失わせる敵対的な答弁をするわけないではないか(笑)

 ただ周知のとおり、国会での質問は事前に議員から通告があって、それに対して官僚が答弁案を書いているはずである。

 それはもちろん、岸田首相も事前に見ているはずである。

 だから、こんな質問が出てきたら

「これはまずいよ、この質問は引っ込めて別のにしてくれないか」

 と頼む――命令する――ことはできたろう。

 そういうことをするのがいいか悪いかは別として、できたはずなのにやらなかったのだ。

 岸田首相も質問した自民党議員の方も、この質問と答弁がこんな批判を浴びるとは思っていなかっただろう。

 おそらくは、「いいこと言った質問」とか「ホッと一息答弁」くらいに思っていたはずである。

 それに確かに、

「育児中など様々な状況にあっても、主体的に学び直しに取り組む方々をしっかりと後押ししていく」

 というのは、とても悪いこととは言えない。

 というか、主体的に学び直しに取り組む国民を政府は支援しないなんて、言えるわけがないではないか?

 そしてまた、現に「育休中のリスキリング支援に取り組んでいる企業」があるということについては、それらの企業も批判されるべき存在なのだろうか。


 だが私が思うに、この質問と答弁は、一つの虎の尾を踏んでいる。

 批判者たちが「育休中は休みじゃない」と言うのとは反対に、やはり育休は休みなのだ(と、多くの国民は思っている)。

 そして、その休みである期間中にリスキリングという「勉強」をするというのは、「休み中にも仕事をする」ということに等しい。

 この「休み中にも仕事をする・すべきだ」ということこそ、現代日本人の踏んではならない虎の尾なのである。

 大部分の日本人の「学ばない」という決意は、巌(いわお)のように固い。

 そして現代日本人にとって、「プライベートでも仕事することを求める」というのは、もはや明白な絶対悪である。

 そんなこという奴は悪の権化なのである。

tairanaritoshi-2.hatenablog.com


 国が「仕事しながら勉強する人を支援する」というのは良い。

 いや、それでも「仕事しながら勉強してる暇なんてない」と批判する人はいるのだが、

 そういう人には「どうせアンタは仕事してなくても勉強しないでしょ」と言うことができる。

 ネット上でも、そういう意見が多くなるはずである。

 しかし、「休み中に勉強する人を支援する」というのはまずい。

 別に育休中でなくても、休みというプライベート時間にちょっとでも仕事のことを持ち込むのは悪である、という感覚は、もう日本人に深く染みついている。

 それだから今回の質問と答弁は、モロにその虎の尾を踏んだ、と思うわけである。

 

 

「日本企業病」-日本人は昔の中国人か

 現今の半導体不足について日本企業が世界に“買い負け”している原因を探った記事が、ダイヤモンドオンラインに出ている。

(⇒ ダイヤモンドオンライン 2023年1月26日記事:「日本企業に半導体を売りたいか」“買い負け”真の敗因を関係者がこっそり吐露)


 要約すると、買い負けの原因は世界情勢と言うよりも、むしろ日本企業自身の中にある。

 その原因3つは、次のとおり。


(1) とにかく決断が遅い。

  責任を取らないでいいように何人もの稟議を経て初めて物事が決まる。


(2) 日本は顧客としての魅力が低下していることを理解していない。

  その表れが「相見積もり」で、単に金額だけ見て一番安いところへ発注する。


(3) とにかく過剰なサービスを求める。

  聞かなくてもわかること(公式サイトに書いてあること)をしきりに聞いてくる「聞く聞く病」である。

 
 ……いやあ、これは分析とは言わないかもしれないが、見事な分析だと思う。

 とはいえこれらは近年、日本企業の悪癖として耳タコと言っていいほどよく聞く話でもある。

 たとえば、海外企業は日本企業の“視察”を嫌がる。

 なぜならそれで新たな商売が始まるわけでもないし、始まってもそれがあまりにも遅すぎるからだ、というように。

 また、相見積もりと言えば、こういう話を知っている(現に体験している)人も多いはずである。

 ある購入についてA社・B社・C社から相見積もりを取らなくてはならないが、それはA社に頼んでB社とC社の見積もりを取ってきてもらうことで実施される……

 という、「バカですか」と思わずにいられない話を。


 そして「聞く聞く病」について言えば、日本企業というより日本人・日本人労働者自体がこの病気にかかっているのではないか。

 老若男女問わず、呆れるほど多いのである――

 書いてあるのに、ネットでチョチョッと調べればすぐわかるのに、あえてそんなことを電話をかけて聞いてくる人は。

 貴男も日々働いていて、思わないだろうか。

 いったいどうしてこんな国が世界第二の経済大国になったことがあったのだろう、と。

 あれはやはり、おかしかったのではないか。

 日本は没落すると言うが、それは「正常化」というものではないか。


 また、総じて思うのが、日本人はもはやこんな「悪癖」とされるやり方しかできなくなったのではないか、ということである。

 多重稟議にせよ相見積もりにせよ「何でも聞く」習性にせよ、

 顧客の方がとにかく優位でエラいんだという意識(これはもう「道徳」である)にせよ、

 過剰サービスが当然の「人の道」という意識にせよ……

 日本人はもう、こういう日本式のやり方・考え方しか、まっとうなことと思えなくなっているのではなかろうか。

 他のやり方があろうとは思えなくなっており、それどころか他のやり方というのは「あるべき道」から外れた不道徳、とさえ感じる体質になっているのではないか。


 これは例えて言えば、「昔の中国人」みたいなものかもしれない。

 地大物博、中華と夷蛮。

 自国に足らないものはなく、他国から学ぶものは何もない――

 それが昔の中国人の意識であり、まさにまっとうな道徳観でもあったと言われる。

 現代日本人は、なまじ経済大国になった近過去があるばっかりに、こういう小中華とも言うべき意識を持ってしまったのかもしれない。

 いや、昔の中国人は「あえて」外国から学ばなかったとも言えるが、

 今の日本人は「日本式のやり方しか考えられなくなった」から「学びもできない」状態になっているとも言えるだろうか。


 とはいえ救いは、まるで現代が江戸幕府の末期症状時代だとすれば……

 もうすぐ黒船のような「外部からの衝撃」が来て、急激な変革が訪れるだろう、ということである。

 よく言われるように、日本はそういう外部衝撃・巨大外圧によってしか大変革は起こらない、という伝統がある。

 その衝撃や外圧というのが、外国からの侵略か、南海トラフ巨大地震か――

 どれになるかはわからないが、そういうことはいつか必ず訪れると見ていいだろう。