プロレスリング・ソーシャリティ【社会・ニュース・歴史編】

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古代イギリス人は「青い目の黒人」だった? たった1万年で進む肌の色の変異

 これは、こういうことに興味のある人にとっては誠に興味深いニュースである。

 約9000年前のイギリスで暮らしていた男性の頭蓋骨をDNA鑑定にかけたところ――

 その肌は「濃い色から黒にかけての色」で、縮んだ黒髪を持ち、青い目をしていたことが判明したというのだ。

www.trt.net.tr

 

www.afpbb.com


 端的に言えば1万年くらい前の“イギリス人”は、「青い目の黒人」だったということである。

 これはつまり、


●肌が黒から白になるのは、たった1万年ほどしかかからない。

●目が青くなる方が、肌が白くなるより早い。

目が青くなる方が、髪が金になるより早い。


 ということを示している。

 そして「人類はアフリカで生まれた」という定説に基づけば当然のことながら――

 「体毛を失った最初の人類は、やはり黒人だった」

 「棍棒を持った原始人は、やはり黒人だった」

 ということにもなりそうだ。


 もちろん今回の分析は、たったサンプル1体の分析である。 

 たまたまそのサンプルになった人が、圧倒的少数派であるはずの「青い目の黒人」だった、という可能性もあるだろう。

 つくづく考古学と古生物学というのは、たった一つの発見・発掘で今までの説がひっくり返ったり揺らいだりする、はなはだ不安定な学問分野の代表である。

 とはいえここは専門家たちを信頼し――

 1万年前のイギリス定住者らは、肌は黒人だったとする。

 これは、進化の速度というものについてずいぶん考えさせられる結果である。


 もちろん、肌の色が変わるのは単なる「変異」で、「進化」とはワケが違うとも言える。

 肌ではないが、昆虫の羽の色がたった50年ほどで白から黒に変わる――

 というのは、「オオシモフリエダシャクの工業暗化(工業黒化)」として非常に有名である。

工業暗化 - Wikipedia


 人間の肌が黒から白に変わるのは、「日光が少ない場所でより多くのビタミンDを吸収できるよう」になるためだとされているが――

 ということは、今のヨーロッパの白人が全滅し、純粋な黒人や黄色人種が代わって入植したとしたら、1万年後にはみんな肌が白くなってしまうのだろうか?

 そしてまた、今もなお日光の少ない(はずの)シベリアで暮らすツングース系の諸民族も、あと1万年もすればみんな“白人”になるのだろうか?

 どうもこれ、私には「早すぎる」ように思えるのだが、どうだろう。


 肌が白いのは、たった1万年でみんなそうなるほど、生存(と生殖)に有利だったのか。

 瞳が青くなるのは、肌が白くなるより先にみんなそうなるほど、生存と生殖に有利だったのか。


 なんとなくの思いつきではあるが……

 かつてヨーロッパの人類は広範な絶滅を経験し、「たまたま」白っぽい肌の集団が生き残ったのかもしれない、と思えてくる。

 しかしではその前に「たまたま」青い目をした集団が生き残ったような破局があったのか、と問われれば、そんなことが二度以上も続くとは考えにくくもある。 

 生物の進化と変異には、まだまだ多くの謎がありそうである……

 それも、たった1万年前のことについてさえ。

「小学校にアルマーニ制服」と「中学校にジェンダーレス制服」-セックスシンボルとしての制服は廃止される?

 期せずしてほぼ同日に、「学生の制服」について好対照とも言える二つのニュースが報じられた。

 一つは東京中央区銀座の泰明小学校が、この4月からイタリアの高級ブランド「アルマーニ」デザインの(一式9万円する)制服を導入する、と発表したことである。

 もう一つは、この4月に開校する千葉県柏市立の柏の葉中学校」が、男女とも“ブレザーにスラックスかスカート、ネクタイかリボン”を選択して着用できるようにする、というものである。

 つまり柏の葉中学校では、男子でもスカートとリボンを着用して通えるのだ。

 体と心の性の不一致に悩む性的少数者の生徒に、配慮したものだという。

 

www.nikkei.com

 

www.huffingtonpost.jp

 

www.yomiuri.co.jp


 まずアルマーニ制服の方だが、ハフィントンポストの校長の文を読む限り――

 泰明小学校も特認校(校区外の生徒でも通学を選択できる)ではあるが公立校の御多分に漏れず、問題児が多いような様子である。

 その解決策の一つとして、「高級ブランドの服を着せれば素行が良くなるのではないか」との思いつきを実行しようとしたようだ。

 いわゆる“形から入る”というものだろうが、私はこれを一概に「短絡的だ」とか否定しようとは思わない。

 形から入る、というのは、確かに効果があることもあるからだ。

 そして別に最初からアルマーニに決めていたというわけではなく、こういう話をまともに聞いてくれた“高級ブランド”はアルマーニしかなかったらしい。


 要するに泰明小学校の校長が本当に言いたいのは、「質の悪い生徒は来てくれるな」ということだろう。

 しかし何もしなければその願いは叶わないので――

「値段の高い制服で“壁”を設ければ、質の悪い子の家庭はウチの学校に通わせるのを断念するはず」という考えなのだろう。

 つまり9万円の制服に恐れをなしたり憤慨するような貧乏人の子は、質が悪い(可能性が高い)ということである。


 これはとんでもなく問題のある考えに聞こえるが、しかしでは、就職活動でよく言われる「学歴フィルター」とそんなに違っているだろうか?

 学歴フィルターは当然ながら、「勉強のできる人(偏差値の高い学校に行けた人)は、優秀である/仕事ができる可能性が高い」という前提に立っている。

 この前提は、もちろん完全に正解というわけではないだろうが、相当程度正解に近いのではないか。

 そしてそれは、庶民みんなが本当はわかっているのではないか。

tairanaritoshi-2.hatenablog.com


 つまるところ、泰明小学校校長は形から入りたいのである。

 生徒に高級な服を着せて、それにふさわしい人間になってほしいのである。

 高い制服代の負担に耐えられる家庭の子弟こそ、我が校を選択して来てほしいのである。

 そうなれば泰明小学校は、まさに「ブランド化」に成功するかもしれない。
 
「金持ちの上流子女の通う、高級校」と世間に見なされるかもしれない。


 こういう“客を選ぶ(顧客の選別)”とか“自社のブランド化”は、あらゆる企業が自社もそうありたいと渇望するところのものだ。

 はたして公立校とはいえ、学校がそれを目指しちゃいけないのか、という問題は、かなり根深いものである。


 翻ってジェンダーレス制服選択制の柏の葉中学校だが――

 もし本当に「スカートとリボンを着用する」男子生徒が出現したら、これはある種の趣味の人たちにとって、大コーフンものの妄想が現実になるということになる。

(しかし、女子生徒がスラックスとネクタイを選んでも別にニュースにはならないだろう。不思議なことである。)

 そして柏の葉中学校は、性的不一致に悩む子どもたちの“聖地”のようになるかもしれない。

 これもまた、別の方向のブランド化である。

 とはいえ今の日本においては、まだまだ“変わり者が通う学校”と偏見視されるのは避けられまい。

 これは、諸刃の剣と言わざるを得ない。


 さてしかし、根本的な問題は、この制服というもの自体の存在である。

 日本は世界トップレベルの制服大国らしく、学校での制服は当たり前だし、企業でもごくありふれたものである。

 だが誰もが知っているように、日本の(特に女子・女性の)制服は、職業ステータスなんかを表すだけのものではない。

 それは他の何よりも、「性的対象」としての役割を果たしているのだ。

 このことを否定する男性は、たぶん一人もいないはずである。

 いるとしたら、それは大嘘つきというものだ。


 セーラー服をはじめ女子・女性の制服というものは、日本においてまぎれもなく性のアイコンである。

 これは、ほとんど全国民の一般常識と言ってよい。

 つまりあなたが娘の親(特に父親)であるなら、娘に制服を着せて学校へ通わせるということは、娘が大勢の男たちに性的な目で見られることを意味している――

 と、当然わかっているはずである。


 どうも最近の世界の趨勢からして、日本の制服というものは「女性を性的なものとして扱う」ことの象徴として、いつか槍玉に挙げられそうな気配である。

 そしてこのことについては、日本人男性なら完全に「その通り」と内心納得してしまうだろう。

 
 高級制服もよし、ジェンダーレス制服もよし。

 しかしそもそも「制服」自体が、子どもたちを性の対象として見させているとしたら――

(「したら」と言うより、間違いなく「している」のだが。)


 かつて日本にもある程度存在した「制服廃止論」も、新たな説得力を帯びて甦ってきそうである。

眞子さま&小室圭さんの結婚延期-「人間のデューデリジェンス(身元調査)」が社会のキーワードに

 2月6日、宮内庁眞子さまと小室圭さんとの結婚延期を発表した。

 また、眞子さま自身も「急ぎすぎていました」とコメントを発表した。

 

mainichi.jp

 

mainichi.jp

 

mainichi.jp


 宮内庁は「小室家に関する週刊誌報道は関係ない」と否定しているが、もちろん関係ないわけがない。

 やはり小室家には多くの問題があると見ていいのだろう。

 なにせ半年やそこらの延期ではなく、今から2年以上も先の2020年に延期である。

 “天皇陛下の退位や、皇太子さまの即位などの皇位継承の行事が終了した後に”などと言っているが――

 あと2年も先なら、当の「おじいちゃん」たる高齢の現天皇崩御している可能性は充分にある。

 普通はこういう慶事、おじいちゃんが生きているうちに……と、繰り上げることはあっても2年も遅らせるという話はないものだ。


 私は紙の週刊誌というものを一切全く読んでいないが、そのネット記事を見る限り、小室家にはまさに問題山積といった有様である。

 婚約報道がされた当時、小室さんのことを「責任感のある(対取材)態度」などとマスコミが褒め上げていたのが、ウソのような隔世の感ではないか。

新日本プロレス内藤哲也なら、「まさに、てのひら返しですよ」とでも言うだろう。)

 

tairanaritoshi-2.hatenablog.com

 

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 さて、宮内庁眞子さまの発表では、あくまで結婚の意志と予定自体は変わらないとされている。

 しかし2年も先送りするというのは、これはもう二人の行き先には暗雲が立ちこめまくっているとしか見ようがない。

 ここでどうしても論点の一つになってくるのは――


宮内庁は、もっと小室さんの身元調査をしっかりやるべきだった。

 本人だけでなく家族も調査すべきだった。

 これだから身元調査は大事なのだ」


 という意見だろう。

 なるほどこれは全くの正論である。

 不動産を買うときなど、「デューデリジェンス」を綿密に行うのは、ビジネスの常道と言うよりビジネスマナーの一環と言った方がいいようなものだ。

 デューデリジェンスを直訳すれば、「当然行なうべき調査」ということになる。

 言ってみれば宮内庁は「当然行なうべき」事前調査を怠ったわけだが、しかしだからといって宮内庁を責めるのは酷だろう。

(つい先日の記事でも、フジテレビについて同じことを書いたのだが。)

 

tairanaritoshi-2.hatenablog.com


 逆に宮内庁は、小室さんの家族を含めた身元調査をやりたくて仕方なかったはずである。

 それができなかったのはもちろん、そんなことをすれば眞子さまの逆鱗に触れてしまうからである。

 「好き」という想いは、尊くもあるが始末にも負えないもので――

 自分が大好きな人、結婚したいと思っている相手に対して他人が「探り」を入れようとするなど、とても許しがたいおせっかい――いや、わが心を踏みにじる大悪事に感じ取ってしまうものだ。

 そして非常によく知られているように、決まって問題児に惚れてしまう女性というのが、世の中には結構ゴロゴロしているのだ。


 言うまでもないが眞子さまは、たまたま皇室に生まれただけのただの一般女性である。

 だから、本人はともかくとして家庭に極めて問題のある異性に惚れてしまうのは――

 たとえそのことを知っててもなお、好きだ・結婚したいと強く願うのは、世にありふれた一例に過ぎない。

tairanaritoshi-2.hatenablog.com


 だから今回の「事件」は、決して皇室という特殊な家に限った問題ではない。

 思えば結婚とは、とてつもなく不確実でリスクに満ちた――いわば原始的としか言いようのない――人生の選択である。

 自分が好きになった相手が、裏ではどんなことを隠しているかわかったものではない。

 その家族や親族にどんな根性曲がりや悪人がいるか、知れたものではない。

 本当は怪しげな新興宗教に属しているとかいないとか、元いじめっ子の中心人物であったかどうかなんて、何度カラダを重ねたからってわかりようがない。

 
 それを知るほとんど唯一の手段は、本人には言わず、興信所や探偵に頼んで身辺調査することである。

 尾行を付けて隠し撮りして、本人や家族の日常を確認することである。

 はたして宮内庁は地元警察に依頼して、小室さんやその家族をこうして調査すべきだったろうか。

 あなたが結婚を考えるとき、そのすきな相手をデューデリジェンスするのは「当然行なうべきこと」だろうか。

 そして小室さんらについてそうすべきだと言うことは、もちろんあなたもあなたの家族も調査されるべき、と言うことである。


 どうやら昨今の社会のキーワードは、「身元調査」「身辺調査」すなわち「人間のデューデリジェンス」ということらしい。

 新番組のアナウンサーを選ぶときも、

 タレントを起用するときも、

 皇族が結婚したいと言っている相手方を確認するときも――

 そしてあなたが結婚するときも、就職するときも、

 デューデリジェンスを欠くことができない社会。

 その当然のことを怠れば、必ず非難される社会。


 思うにこれは――

 結婚するのが「身近な誰か、相手方の家族も含めてよく知ってる誰か」にほとんど違いなかった原始社会や村落社会では有効だった「従来型の結婚」が、

 この「もともと見ず知らずの相手」と出逢って結婚するのが当然な現代社会に、明らかに対応できなくなっていることの表れのようにも感じられる。

 つまり「従来型の結婚」とは、もはや“成り行き任せの原始的デタラメ”の結婚方法と言えるだろう。

 そんな結婚に暗雲が垂れ込めたり破局に至ったりするのは、当たり前と言えば当たり前の話なのだ。


 我々は、結婚相手や就職希望者を身元調査すべきか。しないなんてのはバカなのか。

 これは、現代社会の中でかなり大きなテーマである。