プロレスリング・ソーシャリティ【社会・ニュース・歴史編】

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横綱・日馬富士の暴行事件と札幌「エリート弁護士」のタクシー大暴れ事件-全ての人間は「一般人」である

 大相撲の横綱日馬富士(はるまふじ)が、平幕・貴ノ岩(たかのいわ)をビール瓶で殴って大怪我をさせたとして大問題になっている。

(この2人はどちらもモンゴル人で、10月26日のモンゴル出身力士らの飲み会で事件は起きた。)

 

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 そうかと思えば札幌市では、企業社長も兼ねる30代エリート弁護士が、タクシー内で運転席アクリルガラスを蹴り壊す&タクシー代を払わず下車するという事件を起こしている。

 

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 さて、これを「世界観」と言ってしまっては大袈裟かもしれないが――

 それでもかねてから思うのは、結局この世の全ての人間は「一般人」だということだ。


 横綱やその他の力士は、「相撲の強い一般人」である。

 弁護士やその他の“レベル(ランク)が高い”と思われている職業に就いている人は、「頭のいい一般人」である。

 総資産何十兆円という地球的大金持ちですら、「とても才能のある一般人」ということになるだろう。

 

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 一般人には、もちろん痴情のもつれで刃物を持ち出す人間がいる。

 ビール瓶で人の頭を殴る者がいる。

 酔ってタクシー内で暴れる奴がいる。

 そういう一般人の誰かが有名人であったり横綱や弁護士や金持ちセレブをやっているのであって、こういう事件がときどき(または頻繁に)起きるのは、むしろ当たり前のことではないだろうか。

 「横綱なのに」「弁護士のクセに」などと思うこと自体が謬見なのであり、この世にいるのは全て一般人である――

 よって、誰が何をしようと、そんなに以外でも何でもない「普通のこと」ではないだろうか?


 このブログでも著作でも何度となく書いている気がするが――

 我々はいい加減、「何らかの高い能力を持つ人間」を「尊敬」したり「特別視」することをやめるべきである。

 日馬富士は、たまたま相撲の強い一モンゴル人イコール一般人である。 

 タクシー大暴れ社長弁護士は、たまたま頭のいい一日本人イコール一般人である。

 一般人がたまたま横綱や弁護士をやっているのであって、別に一般人よりランクの高い「高貴な人間」がやっているのではないのである。

 世界的大企業のトップからスーパーのレジ打ち係に至るまで、一般人が何らかの「やましい点/好ましからざる点」や「癖(へき)」を持っているのは当然だろう。

 それが犯罪という形で発現したなら、罰されるのもまた当然。

 特に日馬富士のやった(とされる)「ビール瓶で頭を殴って大怪我させる」なんてことは、一般人ならとっくに逮捕されている。

 日馬富士も一般人なのだから、もしこの容疑が本当ならすぐ逮捕されるべきである。

 「国技の頂点にある男」などという肩書きは、たまたまそういうものを持っているというだけのことだ。