この地球上に、すでに野生の馬は残っていないとのDNA研究結果が、2月22日に発表された。
こんなブログ記事を見つけて読むほどの人なら――
地球最後の野生馬は、この中央アジアに生息するプルツワリスキー(プルジェワリスキー)馬とかいうものだ、ということを当然「知っていた」はずである。
今までに出た生物の本では皆そう書いているのだから、私も当然そう憶えていた。
しかしその通説なり常識は、この発見一発でオジャンになってしまったのだ。
最近同じことを何度も書いている気がするが、まことに古生物学と考古学は、まるで新日本プロレスのYOSHI-HASHIが言うように、
「物事が変わるのは一瞬」を地で行く学問分野である。
tairanaritoshi-2.hatenablog.com
ところで、馬というものが、もし人類がいなければきっと自然絶滅していただろう生き物だということは、これまた生物好きには「常識」である。
いや、馬に限った話ではなく――
馬の属する奇蹄類(奇数の蹄(ひづめ。「指」ではない)を持っている四足哺乳類)というグループ自体が、人類がいなければ(いなくても)絶滅の危機に瀕するグループなのだ。
試みに、奇蹄類に属する動物名を思い出してみよう。
すぐ思いつくのはウマとサイだが、もう一つ(あの夢を食うという)バクもそうである。
そして、たったこの三つの科だけが、奇蹄類の全てだという。(種の単位で言えば23種)
対するに、蹄を偶数個持つ偶蹄類は――
イノシシ(ブタ),ウシ、カバ、ラクダ、シカ、マメジカ、キリン、ペッカリー、プロングホーンの9科185種を数えるらしい。
http://nihon.matsu.net/nf_folder/nf_mametisiki/nf_animal/nf_animal_kiteirui_guuteirui.html
人間にとってメジャーな四足哺乳類名をだいぶ網羅し、もちろん個体数でも奇蹄類をはるかに圧倒している。
(ちなみにクジラも、先祖は有蹄類だったようだ。
そしてもう一つメジャーな動物であるゾウは、奇蹄類でも偶蹄類でもない長鼻類(目)に属する。)
今回の研究で野生のウマはとっくに絶滅しているとわかったので、残る奇蹄類はサイとバク。
サイこそ絶滅に瀕する動物の代表格なのは有名で、バクはマレーシアあたりにしか生息していない。
奇蹄類の存続は、まさに風前の灯火である。
もちろん飼育馬は世界中にたくさん生きているが、それだってもし人類が滅亡したら絶滅すると思われる。
さて私の個人的な思いとして、哺乳類の歴史には(その起源を除けば)トップ3の謎がある。
① 人類への知性の宿り
② コウモリの翼の形成
③ 偶蹄類の大繁栄と奇蹄類の凋落
(昔はこれに「④クジラの海への帰還」というのがあったのだが、最近はだいぶ解明されてきているようだ。)
まず②については、これは爬虫類の翼竜にも(もちろん昆虫にも)起こったことである。
その意味で、生物史全体を通しての特殊事項とは言いがたい。
①は真に謎めいて見えるが、しかし待て……
ペルム紀あたりの海中に、高度な精神文明を築いていた軟体(よって印象化石以外は残らない)知的生命が生きていなかったなんて、誰が断言できるだろう。
その意味で、これもまた生物史でただ一度だけ起こったものとも言い切れない。
しかし、本稿の③は――
指の数で生物の盛衰が決まる、なんていうトンデモ理論を支持しているように見えないだろうか。
進化論のセオリーで言うと、偶蹄類が反映して奇蹄類が凋落した理由は、
「指の数が偶数だったら有利(適応的)であり、奇数だったら不利(非適応的)だから」というものになりそうである。
ここまで指の数でハッキリ明暗が分かれていると、そう考えるしかなさそうではないか?
だがいったい、指の数が偶数である優位性とは何だろう。奇数であることの不利とは何なのだろう。
これは一般に、「偶蹄類は複数の胃を持って、食物を反芻(はんすう)できるから有利」という説明(推測?)がされているようである。
確かにもっともらしくはあるが――
しかしそれなら、そもそも奇蹄類って生まれようがなかったんじゃないかとの疑問が何としても残る。
そもそも「偶数の指があったら複数の胃を持つ」という関連性が、これまた謎である。
何だかこれ、「足のツボが実は体中のあらゆる部分の健康に繋がっている」なんていう、東洋医学の話を聞いている気がする。
(逆に言えば、東洋医学のこういう考えは、生物学的に正しいのかもしれない。)
本当にいったい何でまた、指の数が奇数の四足哺乳類は、絶滅の危機に瀕するほど衰退しているのだろう。
食物消化機能が不利だというなら、何でそもそも種として発生してきたのだろう。
これは、実に謎である。
最後に――
人類は、これまでいくつもの動物種を絶滅させてきた“罪”を負っているとよく言われる。
しかし奇蹄類なかんずく馬に限っては、人類が彼らを絶滅から救ったと言えそうである。
もし現生人類の誕生がもう少し遅れていれば、地球は馬のない世界になっていたはずだ。
馬のない世界史というものがいったいどんなものになったか、
騎馬民族のいない世界史はどんな展開を見せていたか、
歴史の“if”好きにとっては、相当こたえられないテーマだろう。