11月29日、元アメリカの国務長官(他国で言う外務大臣)を務めた学者――後には起業経営者――ヘンリー・キッシンジャー氏が死去した。享年100歳。
言うまでもなく彼は、現代史上最も有名な外交官である。
彼が文字通り世界を股に掛けた大活躍を見せたのは1970年代だが、それから50年も経った今でも彼の名を知らない日本人の方が少ないだろう。
中には、歴史的人物としては知っているが、まさか今の今まで生きていて100歳で死んだとは知らなかった――なんて人もたくさんいそうだ。
それほどまでに彼が有名なのは、一つにはその名前である。
「キッシンジャー」なんて名前には、そんな名前が世の中にはあるのかと人に思わせると同時に、なぜか忘れがたい響きがあるのだ。
いったい何だろうか、この言いようのないカッコいい響きと、「一度聞いたら忘れない」を地で行くインパクトとは……
それはそれとして、キッシンジャーと聞けば「シャトル外交」とすぐ連想するのも普通である。
このシャトル外交という言葉もまた、ピンポン外交とかパンダ外交とか、一連のナントカ外交シリーズを生み出した名作フレーズだろう。
ピンポン外交は何のことだかわからないが(笑)、シャトル外交と言われれば飛行機のシャトルで世界中を飛び回るというイメージがすぐに湧く。
つくづくキッシンジャーという男、印象的なのである。
さて、日本国民にとってキッシンジャーの最も忘れがたい思い出と言えば、やはり1971年の電撃的な米中国交回復――
すなわち共産中国を中国の唯一の正統政府と認めて国交を開き、逆に今まで認めていた台湾(国民党政府=国府=中華民国)を「切り捨てた」ことだろう。
これは今からしてみれば、中国共産党王朝をアメリカに次ぐ超大国に膨張させた「元凶」だと思われても仕方ない。
おそらく今の台湾人(特に台湾独立派)は、このたびのキッシンジャー死去の報を聞いても冥福を祈る気にはならないと思われる。
ただ、これがキッシンジャーのせいだとか、共産中国承認自体が悪手だったとか、私はそうは思わない。
どだい中国大陸全体を支配する勢力を正統政府と認めず国交もなく、ただ台湾しか支配していない勢力を中国全体の正統政府として認め続ける……
なんてのは、あまりにも無理があり過ぎる。
別にキッシンジャー国務長官でなくてもニクソン大統領でなくても、やっぱり1970年代か80年代にはアメリカは共産中国と国交回復していただろう。
(そしてキッシンジャー&ニクソン同様、それを事前に日本に通知・協議することはなかっただろう。アメリカの子分国の身分なんて、そんなもんである。)
そう思うからというわけでもないが私としては、現代史の「外交番長」とも言うべきキッシンジャーのことを、それほど傑出・突出した外交官だとは思っていない。
ありていに言えば、彼がそんなに大して歴史の流れを変えたということはないと思う。
彼やニクソンがいなくてもアメリカは共産中国を承認していたし、
共産中国は改革開放で今のように経済大発展しただろうし、
ついでに言えばベトナム戦争もアメリカの敗北という形で終結していただろう。
中南米の左派政権の謀略打倒も、アメリカは必ずやあの時代にやっていたに違いない。
だいたい私は、国内政治の世界ならいざ知らず、「外交ヒーロー」なんて個人が歴史を変えるということはないと思っている。
どんな外務大臣も外交官も、歴史の流れとかそれに伴う自国の勢いに乗った活動しかできないというのが、本当のところではあるまいか。
しかしそうであっても、キッシンジャーの名は巨人外交官として残るだろう。
そのネームバリューで言えば、まさに不世出の外交ヒーロー・外交番長であった。