作家で元政治家の石原慎太郎氏が2月1日、死去した。享年89歳。
石原慎太郎と言えば昭和の大スター・石原裕次郎の兄ではあるが、ただそれだけでは全然なかった。
いま生きる大多数の人にとって石原慎太郎のイメージとは、元東京都知事でありいわゆる「右派」とされる政治家である。
案の定、中国や韓国ではそういう政治家の死として報じられている。
そして確かに肩書きには「作家」とあり、国語の教科書なんかにも『太陽の季節』という彼の著作がほぼ必ず掲載されているが……
しかし彼を現役の作家として認識していた人は、ごく少数だろう。
『太陽の季節』を読んだことがある人、読む気になったことがある人も少ないだろう。
だが、彼には『太陽の季節』よりもっと重要、かつ知られている著作がある。
それは1989年1月、まさに昭和が平成に変わった直後に出版された、盛田昭夫(ソニー創業者)との共著『NOと言える日本』である。
この本は今に続く(とはいえブームは沈静化したようだが)、「日本スゴイ」系コンテンツの起源と言っても過言ではない。
時はバブル絶頂期、すなわち日本の絶頂期。
東京の土地を全部買う金でアメリカ全土を買える計算になるとか、いずれ日本は経済力でアメリカを抜き世界最強国になる――
と、外国の学者にまで言われていた時代だ。
ところでこの本で、日本がNOと言えるその対象となっているのは、もちろんアメリカのことである。
それから30年と少し経った今、日本がアメリカにNOと言える国となったどうか、論ずる必要もないだろう。
軍事面は言うに及ばず経済面でも成長性でも、日本がアメリカに何か言える立場にあるなどと思っている人はまずいない。
そもそもアメリカに対し、NOと言おうなんて気運さえ今の日本人には希薄である。
今の日本人が明確にNOと言い、言う気になるのは、中国・韓国・北朝鮮に対してだけだ。
この3国に対する反感だけが、ここまで格差と分断の広がった日本人が一つにまとまれるただ一つの案件のようにさえ思われる。
石原慎太郎は、日本の絶頂期に、日本の絶頂期を象徴し唱道するような本を書いた。
そして30年あまり……
日本が全面的な衰退と没落の中にあると(連日ネットニュースなどで)書き立てられ、
近いうち一人当たりGDPで韓国や台湾にも抜かれるだろう、
つまりアメリカどころか「韓国にさえ」負けるだろう、
と言われている中で死去した。
いささかコジツケめきはするが、石原慎太郎の後半生とは――
日本の絶頂期を体現することで始まり、日本が転落へ向かう只中で終わった、ようにも見える。
その意味で石原慎太郎という人物は、平成の31年間を代表する日本人の一人だったような気もする。