プロレスリング・ソーシャリティ【社会・ニュース・歴史編】

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日韓歴史戦・佐渡金山編-世界遺産、多過ぎ問題

 日本政府が「佐渡金山」を世界遺産の候補に推薦したことに対し、韓国政府は真っ向から反発と抗議をしている。

 別にこんなことを茶化す気はないが、なんかもう、トムとジェリーかと思うような毎度の展開である。

 今回の件は、「日韓歴史戦・シーズンXX 佐渡金山編」とでも名付けられようか。

 私は戦前の佐渡金山において、本当に朝鮮人の非人道的な強制労働があったのかどうかの知識がない。
 
 また、調べようというほどの関心も興味もない。

(人間、何にでもかんにでも興味・関心を持つことはできないものである。)


 これは実のところ、大多数の日本人・韓国人(そして北朝鮮人)がそうではないかと思う。

 ただ、先日の記事でも触れたが――

 いまや日本においては、「中国・韓国・北朝鮮への反感」は、上級国民・下級国民の別を超えて日本人を一つにできる唯一の案件みたいなものとなっている。

 そして韓国においても「日本への反感(最近は中国への反感も)」は、ヘル朝鮮とも言われる格差社会を生きる国民を一つにできる、たぶん数少ない案件なのだろう。 
 
 この関係性が変化する見込みは、当分の間ありそうもない。


 ところで世界遺産と聞いて、誰もが感じる(はずの)ことといえば一言で言って――
 
世界遺産、多過ぎ問題」

 というものではあるまいか。

 いまや日本でも世界でも、至るところに世界遺産指定がされている。

 それも毎年、増え続けている。

 当然ながら、これを「インフレ」「乱発」「またか」「こんなのもか」「もう飽きた」と感じるのは、至って自然な感性である。

 たとえば今回の佐渡金山だが、もちろん歴史的価値があるのはわかるとして――

 これが日本遺産ならまだしも世界遺産、すなわち人類の至宝の一つだ、と言ってしまっては「言い過ぎだ」と思う人が日本人でも多数のような気がするのだ。

 特に2015年に世界遺産入りした「明治日本の産業革命遺産」というのは、そりゃ何だと思う人がほとんどではないか?

 私は正直、こういうのは「日本(ローカル)遺産」に留まるものだと思う。

 それでいいんじゃないかと思う。

 確かに、それが所在する地元の人たちにとっては、世界遺産に指定されることは嬉しいのかもしれない。

 それで知名度が上がる、観光に来てくれる人が増える、という実利もあるのかもしれない。

 しかし私には何だかこれ、「おらが地元は邪馬台国だった」という誘致活動と同じように思えるのである。

 実際問題、「実はここが邪馬台国だった」という候補地は、日本全土に及んでいる。

(あのアトランティス大陸の候補地も、全世界に及んでいる。)  

 
 それと同じように、あと20年もすれば、日本全土が世界遺産だということになりそうではないか?

 そしてまた、韓国全土も世界遺産になっているのではないか?

 日韓の歴史戦がどうとかいうのとは全く関係なく、世界遺産ってそういうものでいいのだろうか。

 こんなことでは年々歳々、その価値が下落していくだけではないか。

 そして皆さんは、日本に世界遺産が年々増えていくことに、本当に嬉しさを感じているのだろうか……?