今、筋金入りの韓国嫌いの日本人でも認めざるを得ないのは、
「少なくとも映画やドラマなどの映像コンテンツで、日本は韓国に世界で完敗中」
ということではなかろうか。
ここで「映像コンテンツ」というのを、「芸能コンテンツ」と言い換えてもいいかもしれない。
かの有名なBTS(防弾少年団)を筆頭に、韓国のK-POPは世界的に人気だとされている。
そして韓国産の「イカゲーム」とかその他の映像作品が、(主にNetflixで)これまた全世界的に大ヒットしているという。
これに対し、日本産の芸能コンテンツや映像コンテンツが全世界的に大人気だ、というのはほとんど聞くことがない。
例外はアニメくらいだろうが、それも「グレンダイザー」とか滅茶苦茶古い時代の作品が主で、
ドラマ作品に至っては「イランで『おしん』が大ヒットした」とかいう、何十年も昔の話が最新例ではないだろうか。
私には、こんなにも日本が韓国に負ける理由、歯も立たない相手にもならない理由が、わかる気がする。
それも二・三十年も前からわかってた(感じてた)気がする。
(ただし、実写映像コンテンツすなわち映画とドラマに限る。)
ここで質問だが、あなたが映画やドラマを見ようと思う動機は、何だろうか。
なぜあなたは、ある映画・ドラマを見たいと思うのだろうか。そこで何を見たいのだろうか。
それは一言で言えば、「ストーリーを見たい」ということではないかと思う。
どんな素材の話で、どんな話の展開があるのか、それを見たいのではなかろうか。
これは世界共通、人類普遍の「映像コンテンツ鑑賞の動機」と言ってもいい気がする。
もちろん「世間で評判のビジュアルを見てみたい」とかいうのもあろうが、それは主流ではないはずである。
ところが日本の場合、たぶん1990年代くらいからはずっと――
映画やドラマの事前宣伝・PRと言えば、「誰が出演するか」が主体であり、時にはほとんど唯一その作品について言及されることではなかったろうか。
私の場合、どの映画やドラマを見ようかと思うとき、あるいは何を見たいかと言えば、その基準は「素材」と「ストーリー」である。
どんなテーマでどんなストーリーが展開されるのかを見たいのであって、
「どの男優がどの役で出て、どの女優がどの役で出るか」
なんてのは、全く基準になっていない。
これは我ながら、世界標準的な考え方だと思う。
しかしどうやら私のような人間は、少なくとも日本では少数派のように思える。
テレビ番組での事前の宣伝や告知を見る限り、日本人は素材もストーリーもほとんどどうでもよくて、まさに「どの俳優が出演しているか」がその作品を見るか見ないかの判断基準になっているようなのだ。
再び、我ながら口幅ったく言うが、これは世界標準の見方から外れているのではないか。
言うまでもなく世界の人たちにとっては、日本の俳優に興味も知識もあるわけがない。
それは我々が、天下のアメリカの芸能人のことさえロクに知らないし、強いて知ろうとも感じないのを敷衍すればわかる。
それなのに「誰が出るか」を(唯一と言っていいほど)重視して作品を作っていれば、それは世界に大ウケする作品が作れるわけがないだろう。
このことについては、日本では芸能事務所の力が強く――
芸能事務所は所属俳優の出演を捻じ込んでくるし、それを受け入れなければそもそも資金を供給してもらえなくて作品自体が作れない、
などということがよく言われている。
しかし根本的にはこれは、「誰が出るか」を重視する日本人の需要があるからこそ成り立っている構造ではあるまいか。
つまるところこれは、「日本人は海外進出がヘタ」という昔から言われていることの、根本的理由なのかもしれない。
日本人は、その(映像コンテンツへの)嗜好自体が、世界の中でガラパゴス化しているのかもしれない。
その中でアニメだけは(今はまだ)世界で健闘できている、というのは――
生身の俳優が出演せず、だからこそ「誰が出るか」という問題自体が存在しないということが、理由の一つになっているのだろうか。