さて、この事件について意外と言及する人が少なそうなのは――
この凶行を行った少年が、
「自殺する前に人を殺し、罪悪感を背負って切腹しようと考えた」
と供述していることである。
これについて多くの人は、「また、人を殺してから自殺しよう・死刑になろうの話か……」と、暗然たる思いに囚われるに違いない。
私もそう思うのは思うのだが、しかしより一層思うのは――
この日本人の切腹「愛」というのは、いったい何なのだろうということの方だ。
今は令和、西暦2022年。
しかも彼は17歳の高校2年生の少年であって、時代劇が普通にテレビ放映されていた年代ではない。
それなのにまだ、死ぬときに「切腹」しようと思うのである。(しなかったが)
そして、死のうと思って切腹しようとする人は、何も彼ばかりではない。
今でもちょくちょく、そういうニュースは流れてくる。
tairanaritoshi-2.hatenablog.com
日本人は、いまだに海外の人の日本認識が
「フジヤマ、ゲイシャ、ハラキリ、サムライ、ニンジャ」
だと聞くと、いつの時代だよと笑い事にするかもしれない。
しかし私は、笑い事ではないんじゃないかと思うのである。
何しろ2022年の17歳の高校生が、自殺するなら切腹しようと思うのだ。
少なくとも、そうしようとしていたと言っているのだ。
いったいこの、日本人の切腹に寄せる思いは何なのだろう。
切腹の何がここまで、日本人の心に響くのだろうか。
日本人は一度でも(ユーチューブなんかで)切腹のシーンを見たら、強く魅せられてしまう習性があるのだろうか。
なるほど、世の中には「切腹嗜好」というエロスの特殊なジャンルがあって、その愛好者が隠微ながらも相当数いることは知ってはいるが……
そういう切腹嗜好や切腹愛は、実は(特殊で異常ではなく)日本人の間に――若い世代の間でさえ――広く根付いているのではないか、と思わざるを得ないのである。