プロレスリング・ソーシャリティ【社会・ニュース・歴史編】

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ニュージーランド、タバコ廃絶へ-タバコなき世界が失うもの

 ニュージーランドが、ついにタバコ廃絶に動く。

 12月9日、同国政府は「2027年に14歳になる者は、国内での合法的なタバコ購入を生涯にわたって不可とする」法案を来年6月に議会に提出し、2027年の施行を目指すとの方針を明らかにした。

 これはタバコ対策として世界一厳しい措置で、

「他の禁煙対策では時間がかかりすぎる」

「若者が絶対に喫煙を始めないようにしたい」

 と政府はその理由を述べているとのこと。

(⇒ ロイター 2021年12月9日記事:NZ、若年層のたばこ購入を生涯禁止へ 27年から)

 タバコ全面禁止と言えば、既に国内での販売を禁じているブータンが有名である。

 ブータンと言えば「世界一国民が幸福な国(幸福度指数が高い)」ことで有名だが、しかし先進国に数えられることはない。

 だがニュージーランドは、規模は小さいとは言え先進国に入る(一般的なイメージでは)と言っていいだろう。

 その先進国の一角がついにブータンのような措置に踏み切るのだから、嫌煙派にとっては朗報であり凱歌であり、さらなる進軍ラッパになることは明らかだ。

 
 さて、そこで気になるのは、日本国憲法で言う「幸福追求権」というやつである。

 タバコが好きだからこそ吸っている、というのは、嫌煙派にしてみれば全て「中毒」ということになる。

 それはわかるが、ニュージーランドではこれを幸福追求権を根拠に政府に訴訟を起こす人はいないのだろうか。

 日本なら、絶対いると思われるのだが……


 それはともかく、もう一つ思うことがある。

 きっとニュージーランドは、タバコを禁じたせいで自国の文化的な利益(もしかしたら社会活力的利益も)を失うだろう、ということである。

 なぜそう思うかと言えば、今までどれだけの小説をはじめとする創作物が、タバコを吸ってきた人の手で生み出されてきただろうか……と思うからである。

 いや創作物に限らず、もっと身近に――

 今までどれだけの仕事のアイデアがまさにタバコを吸うことで思いつかれてきたか、数えることもできないくらいだと思うからである。

 ヘビースモーカーの文豪・詩人・大学者などは、今まで星の数ほどいたはずである。

 その人たちがもしタバコを吸っていなかったら、今に残る彼らの作品・学業は、本当に産み出されていたか。

 いや、タバコを吸ってなかったらもっと長生きして、もっと素晴らしい作品・学業を生みだしたはずだったか……

 私にはどうもそうは思えないのだが、あなたはどうだろうか。


 これはタバコではないが、かのエドガー・アラン・ポーは重度のアル中患者であった。

 その人生は短く、終わりは悲惨であった。

 もしポーが酒を控えていたら、ポーの作品はもっと偉大だったか。

 現実の二倍も長生きして、もっと多くの作品を生み出していたか。

 端的に言って、もし我々がタイムトラベルできるようになったとしたら、ポーには何とかして酒を禁じるよう仕向けるべきか。

 ヘビースモーカーで知られる歴史上の偉人に対し、断固として禁煙するよう強制すべきか。

 それが人類の善意であり、利益でもあるのか――

 これも私にはそうは思えないのだが、あなたはどうか。

 
 私はタバコには、明らかに「創作促進作用」「ふと何かを思いつく作用」とも言うべきものがあると思う。

 別にたいした実体験があるわけでもないが、歴史的に見ればそう断言していいのではないかと思う。

 そして人類にタバコを吸う人がいる限り、そういう「効能」は生じ続けるはずである。

 それをブータンニュージーランドは、自ら捨てた。

 今後タバコによって思いつかれたかもしれないアイデアや発想を、両国は産み出すことができない。

 これは俗に言う「逸失利益」で、両国のそれは長期的に莫大なものになるのではなかろうか。


 しかしこんなことは、誰にも全く問題とされないに違いない。
 
 人間は、初めから「ない」ものを「もしあったら」と思うことはできない。

 仮にチンギス・ハーンニュートン織田信長らが歴史上存在しなかったとしたら、

 我々は「もし織田信長のような人物がいたら」と思うことは絶対にできない。

 それは人間の想像力を完全に超えたことであって、むしろ量子力学やひも理論による宇宙像の方がはるかに想像しやすいだろう。

 だから我々は、タバコなき世界で

「もしタバコがあったら、どんな創作物や学業が産み出されていたか」

 なんて思うことは絶対にできない。

 だからタバコがなくて残念だとも思うことができない。


 また、よく言われることだが――

 「タバコ休憩がなければ仕事できない人」と「そんなのがなくても仕事できる人」を比べれば、もちろん前者が劣るのであり後者に不公平ではある。

 しかしそれは、前者の上げる成果や有用性が、後者と同じだと仮定しなければ成り立たない理屈でもある。

 もし不公平だからといって全面禁煙にするのなら、「タバコさえ吸わせれば有用な人材(ひいては成果)」を、その企業は逸することになるのは当然だろう。

 そして世の全面禁煙企業においては、本当にそんなことが生じているはずである。

 しかしそれは「起こらなかったこと」なのだから、誰も気づかないし本気で考えることはない。

 いや、「ない」と言うより「できない」のだ。

 
 タバコや酒がなければ生まれなかったろう、創作物など人類の文化的産物――

 それは夥しい数に上るに違いない。

 しかしもし、最初から今に至るまで人類がタバコも酒もない世界に生きていたとすれば、そういう文化的産物が生まれなかったことを残念に思うことは絶対にできない。

 これは当然至極のことでもあるが、しかしまた、恐ろしいこととも言えるのではあるまいか……