プロレスリング・ソーシャリティ【社会・ニュース・歴史編】

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イオン完全禁煙と「タバコのない世界」の文化損失

 ショッピングセンターの雄・イオンは、この3月までに国内115社の全事業所・グループ従業員約45万人を対象に「就業時間内禁煙」「敷地内禁煙」を開始すると発表した。

(⇒ Impress watch 2021年1月25日記事:イオン、就業時間内・敷地内禁煙。国内115社全事業所で)
 
 この「民間企業の自主的な禁止」というもの、今の日本社会について非常に多くのことを示唆していると思う。

 まず今の日本人は、国が国民に禁止していないことを民間企業がその従業員に禁止することを、当然または特に問題ないことと受け入れていることである。

 いや、どうかすると、「よくやった」「踏み込んだ対応」「国はやっぱり動きがノロい、それに比べて民間は進んでる」と好意的に評価しさえする、ということである。

 端的に言って、今の日本人は(もちろん全員ではないが)―― 

 平安時代の「荘園」や、室町時代から江戸時代あたりの「封建領国」に、好意的なのではなかろうか。

 国が禁止してないことを民間団体がその所属者に禁止する、というのは、かなりの程度まで憲法問題である。

 それこそ「ナチス台頭の足音が聞こえる」と言われてもおかしくはない案件である。

 日本人は根っから中央集権が好きだ、だから地方分権がいつまで経ってもできないんだ、とはよく言われるが――

 しかしその反面、日本人は根っから「国がやってないことを民間がやる」というのも好きである。

 そして、その「やる」というものの中身は、かなり高い確率で「**を禁止する」ということである。

 つい先頃まで日本企業では「副業禁止」がスタンダードであったが、これもまた国が禁止してないのに民間が自主的に禁止していたことだ。

 しかしこれ、「オマエの収入源はオレのとこ一本に限れ」という、労働者の生存権を脅かしかねない決まりであるにもかかわらず、別にたいして生存権の問題にはなっていなかった。

 たぶん日本人は、いろんな意味で根っから「封建社会」が好きなのだろう。

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 さて、それはともかくとして、タバコである。

 いまやタバコは「いくら攻撃しても構わないサンドバック」となっており――

 その「害」は夥しく数え切れないほど列挙され続けているが、その「効用」を公に語ることは、ほとんど反道徳的な行為となっている。 

 しかし思うに、「タバコによる経済損失・健康損失」があるのなら、それが年間何百億円だという試算があるのなら、

 逆に「タバコによる効用効果」の試算もあって然るべきではなかろうか。

 私にはタバコの経済効果がどのくらいなのか算出する力量は、もちろんない。

 しかし、確実に「効果がある」と言える分野はある。(ただし、これもとても算出できない。)

 それは、文化の分野である。

 
 タバコが普及してからこの方、「タバコがあったからこそ」書かれた小説や論文・音楽その他の文化的産物は、実に莫大な量に及ぶ……

 と、皆さんは思われないだろうか。

 そういえば一昔前は、作家の2大必需品と言えば「タバコとコーヒー」が普通に挙げられていたようである。

 (これに、人によっては酒が加わる。)


 皆さんも一人や二人は愛煙家で知られる作家を挙げられるだろうし、

 タバコやパイプを咥えた顔写真をイメージすることもできるだろう。

 もしタバコがなかったら、我々がいま持っている文化作品のかなりの部分が、初めから現れることもなかった――

 と想定するのは、的外れなことだろうか。

 
 私には「タバコで寿命を縮めた」作家というのがなかなか思いつかないので、酒の例を出すが――

 かの有名なエドガー・アラン・ポー推理小説の始祖である)は、これもまた有名なことに酒の飲み過ぎで(明らかにアルコール中毒である)悲惨な死を遂げた。

 明らかにポーの命は、酒が奪った。

 ではポーは、禁酒すべきだったろうか。

 私には、「酒を飲まないポーなんてポーじゃない」と思えるのだが。

 そしてポーじゃないポーは、今も読まれるような小説を書けなかった・書かなかったのではないかと非常に強く思うのだが。

 ハッキリ言って我々の文化にとっては、ポーは酒で身を滅ぼしてくれて良かったのではないか。

 そうでなければ、ポーの作品は生まれもしなかったのではないか。


 そして私には、「タバコを吸わなきゃ何も書けない、ロクなのが書けない」という人は、今でもゴマンといるはずだと思えるのである。

 もしタバコが完全に禁止されたら、そういう人はどうなるのだろう。

 タバコがあれば、それを吸っていれば面白い作品を世に出してくれたかもしれないのに、タバコがないせいでそんな作品は生まれなかった、というのは大いにありそうな話である。

 
 もちろん、こんな話に説得力がないのはわかる。

 人は「ありもしないもの」がないからと言って、残念に思うことはできないからである。

 もし織田信長という人物がいなかったら、現代の我々は「もし織田信長みたいな人物がいたら」なんて思うことは絶対にない。

 だから、「タバコがあれば生まれたかもしれない文化作品」を惜しむことも絶対にない。

 しかし、それはそうであっても……

 「タバコがなければ生まれない作品」は、これからの未来にかけて無数にあるに違いない、と私は思うのだが、どうお考えだろうか。