東大卒・24歳の女性が、電通という超大手一流有名企業に2015年4月に入社し、2015年12月25日に自宅の寮から飛び降り自殺した。
約1年前に起こったこのことを、2016年10月7日、三田労働基準監督署が過労死認定したニュースが流れている。
記録に残っている限り、10月は月130時間、11月は月99時間の残業だったようである。
月130時間と言えば、月々の出勤日数を21日とすれば1日6時間となる。
午後5時に終業するとすれば、毎日午前1時まで仕事していたことになる。
私はこれはトンデモない残業量だと思うが、しかし世の中には「そんなの普通だよ」「オレもやってるよ」と思う人も多いのだろう。
私はそう思わない人でよかったと思うし、そう思う人は狂人の一歩手前だとも感じる。
ただ、一つシンプルな感想として抱くのは――
そりゃこんなのが世の中でけっこう普通なのだとしたら、まともな人間は就職も労働もしたくないのが当然だということである。
また、「なりたい職業」の最有力候補が「公務員」だというのも、ネームバリュー的には民間企業トップレベルの電通がこの有様なら、至極当然のことだと言える。
これは別に現代の若者が退嬰化しているのではなく、環境に対するごく当たり前の適応と表現すべきだ。
子どもたちが将来はユーチューバーになりたいとか株で稼ぎたいとか思うのは、むしろ健全な傾向である。
我々は“日本人は勤勉だ”などというタワゴトを乗り越え、「本当は仕事なんかしたくない。会社に入って働きたくなんかない。でもそうしないと暮らせないから仕方なくそうしている」という、“日本人の真実”を直視すべきである。(きっと、あなたもそうでしょう?)
東大に入って、民間トップクラスの企業に入って、入社1年未満で過労死自殺する――
敢えて言うが、こんなアホらしい人生があるだろうか。
いや、自殺までは行かなくても、死んだも同然の(働いて、メシ食って寝ての繰り返し)生活を送っている人は、日本にきっと何万人もいるのだろう。
しかも悲劇的なことに、そのやっている仕事というのは、まず間違いなくたいしたことない/しょうもない/どうでもいいような仕事なのである。
そしてもう一つ今回の事件で特徴的なのは、自殺した高橋まつりさんがツイッターで、仕事の状況を断片的ながらも継続的にツイートしていたことだろう。
それを読んでいると、自殺に追い込まれた原因は必ずしも長時間労働・休日出勤の継続だけではなかったようである。
(いくら仕事がキツくても、職場の雰囲気がよければ相当程度耐えられるものだ――というのは、たぶん真実である。)
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いくら年功序列だ、役職についてるんだって言ってもさ、常識を外れたこと言ったらだめだよね。
人を意味もなく傷つけるのはだめだよね。
おじさんになっても気がつかないのは本当にだめだよね。だめなおじさんだらけ。
— まつり (@matsuririri) November 2, 2015
「年次の壁は海よりも深い」という村の掟みたいな社風を忘れて年の近い先輩に馴れ馴れしい口を聞いて怒りを買ってしまい、わたしの精神がまた傷ついてしまった。
— まつり (@matsuririri) October 29, 2015
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これを読んで感じるのは、世の最先端を行く(というイメージのある)日本最大手の広告代理店業と言えども、中身は土人国だということである。
上司ばかりか年の近い先輩も「全人格的に上」だとする、それが正義で道徳的だとする、封建的な小王国だと言うことである。
こういう連中が定年退職すれば世に放たれるのだから、問題老人が多くなっているというのも無理はない。
やはりここは一発、戦争でも起こって若者が台頭する時代にならねばダメのようだ。
(そう考えると、北朝鮮の核攻撃で大量死が起こるというのも、長い目で見れば日本にとってはよいことなのかもしれない。)
しかしそれは置いといて、年功序列というのは本当に日本社会の悪癖である。
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部長「君の残業時間の20時間は会社にとって無駄」
「会議中に眠そうな顔をするのは管理ができていない」
「髪ボサボサ、目が充血したまま出勤するな」
「今の業務量で辛いのはキャパがなさすぎる」
わたし「充血もだめなの?」
— まつり (@matsuririri) October 30, 2015
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この部長も、いま会社に残っている多くの人たちも、おそらくはこんなことを言われて長時間残業の職業生活を過ごしてきたのだろう。
それはたぶん、「試練に耐えて生き残ってきた」ことになるのだろう。
だから後輩や部下にそんなことを言っても/強いても当然だと思い、誇りにさえもするというのはわからないでもない。
だがそれはもちろん、労働法規に違反してきたことを誇りに思うことでもある。
まるでヤクザ、そうでなければ中央政権を意に介さない地方軍閥(日本で言えば戦国大名=封建領国)みたいなものだ。
そしてこれは何も電通に限ったことではなく、日本の組織とその構成員に深く染み付いた感性である。
いったい「仕事」というのは、そんなにも価値のあることなのか。
職場の上司だの先輩だのというのは、部下や後輩と全人格的に主従関係にあるのか。
結局のところ――いや初めから、仕事なんて食い扶持稼ぎの手段であり、それを一緒にやっている人がいるというだけではないのか。
(もちろん、会社を辞めればそれで関係は終わりである。
会社を辞めれば、誰でもただのヒトである。しかしこれを実感していない人がいかに多いことか。)
それにしても電通は、1991年にも社員の過労死自殺を起こした(自殺したのはやはり24歳)、いわば過労死事件の常連企業である。
おそらく1991年直後は、電通内部でもいくらかの「反省」はあったのだろう。
しかしそれから四半世紀も経てば何もかも忘れ、また(その土着の本性である)封建領国に逆戻りすることになったのだろう。
学校の先生は四半世紀も今も「教え子を戦場に送るな」と善意で言っているが――
こういう企業がゴマンとある社会に教え子を送り込む(就職を支援する)というのは、戦場に送り込むのと同じことだと思わないでもない。
そして我々は自衛策として、副業でも何でも本業以外の収入源を開拓することをおおいにやるべきである。
資格でも何でも取って、一つの職場に依存・特殊化することをやめるべきである。
何と言っても、労働の流動性が高まれば高まるほど、過労死やブラック企業などという悲劇はなくなるのだから……
ちょっと今回は、とりとめのない文章になってしまった。
いずれ時間があれば、日本人の労働観念についてまとまったことを書いてみたいものである。