プロレスリング・ソーシャリティ【社会・ニュース・歴史編】

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PDCAは死のサイクル&「面前でご説明しないと無礼」の封建土人国が世界に遅れる

 PDCAサイクルとは、日本で働く人の常識である。

 いくらなんでも、そんなの聞いたこともないという人は「まともな」ビジネスパーソンにはいないだろう。

 しかし、そのPDCAサイクルへのこだわりとやり過ぎこそが日本を世界に劣後させている――

 との記事を、経済ジャーナリストの井上久男 氏が書いている。

news.yahoo.co.jp


 この記事に、私は概ね賛成である。

 そのとおり!と膝を打ちそうな人も多いと思う。

 しかし、特に石田氏はPDCAの初っ端の「P」即ち「Plan=計画」について書いており――

 どうせ先も見えない(何が当たるかわからない)のだから「やってみなきゃわからない」のに、予め立てられるわけもない計画作りに時間を掛けすぎるから、「D=Do=行動」に移したときにはとっくに状況が変わっている、

 こんなことだから日本企業は世界に出遅れるのだ、と言っている。

 これは確かにありそうな話で、実際そういうことが日本中あちこちの組織で起きているのだろう。


 そしてもう一つ、海外からの批判である。


アメリカのベンチャーキャピタル企業の人

 「日本の大企業はシリコンバレーによくやって来るが、1週間で投資決断できるようなことを本社で稟議書を回して半年以上かけて決断する。

  この間にビジネスの環境は変わる。

  米国のベンチャー企業は日本の大企業とは組みたくないというのが本音ですよ」


イスラエルの投資セミナーイベントの講演者

 「日本企業は、提携や投資などを最終決定するのに時間がかかり過ぎる」


 これについても、耳の痛すぎる人が多いだろう。

 自分もそんな日本企業で働いてます、というビジネスパーソンや組織人は夥しい数に上るはずだ。

 しかしこの「日本人は決定が遅い」という批判、それこそ1970年代あたりにはもうあったはずだ。

 日本人は何でもかんでも「本社に相談して決めます」と言うような人種だというのは、当時の民族ジョークにもうあった覚えがある。

 それでも1980年代の日本は世界最強クラスの経済大国を誇っていたのだが、その悪運もついに尽きかけようとしているわけだろうか。


 さて、「日本企業の意志決定の遅さ」は昔から筋金入りだし、世界でも有名だったはずなのだが――

 当然ながら別にそれは、1970年代には誰も言っていなかったはずのPDCAサイクルのせいではない。

 では何のせいかと言えば、このブログでも何度も書いてきた「封建土人性」「封建土人道徳」のせいではないだろうか。


 一例を挙げよう。それは、

●上司やトップに何かを説明・報告するとき、

●その要旨や資料を上司・トップのパソコンにメールすることを、

●あるいはそのメールだけで(直接に面前に行くことなく)説明・報告を済ませるのを、あなたはどう思うか

 というものである。

 思うに10人中9人くらいは、これを「ダメ」だと感じるのではないだろうか。

 いや、ダメというより「無礼」と感じるのではないだろうか。

 なぜなら、

「目上の方の御前に、直接お伺い申し上げて説明しないのは無礼千万」という意識は、相当深く広まり染み渡っているからである。

 たとえ後で直接伺って説明するにしても、事前にその資料をメールで送って「印刷して準備しておいてください」みたいなことをするのは、許されざる無礼だと多くの人は感じるからである。 


 何だろうと「目上」への報告・説明は、とにかく

「紙を用意してお渡し申し上げて」

「直接御前でお目にかかって」

 行わなければ無礼に当たる――

 おそらくはこういう「道徳」が、

テレビ会議システムがあっても使わない

●明らかにメールで済むことなのに「担当者が直接出頭しなければならない」

●ヒドい場合は、トップの部屋にはプリンタさえ置かれていない

 なんてことに繋がっているのだろう。

 トップに「印刷なんて下っ端のやることをさせ申し上げるなんて、そんなことはあってはならない」と考える人は、たぶん日本人の過半数を超えるはずである。

 また、もちろんこういう道徳を持っていれば、電子決裁などの仕組みが「非道徳的」に感じられるのも無理はない。(よって、なかなか導入されない。)

 その結果、上司やトップが忙しかったり出張に出ていたりすれば、その間むなしく意志決定は遅れるのである。

(そう、「出張中なのに説明・報告申し上げるのは無礼」という道徳もここに加わるのだ。

 そしてさらに、「関係部署に相談しないで物事を進めるのは無礼」というのも。)
 
 
 こんなことをやっていれば、それは意志決定は遅れるだろう。世界に遅れを取るだろう。

 そんなことはわかりきったことなのだが、それでも日本人・日本企業は当分の間(このままずっと?)意志決定が遅いままでいるはずである。

 なぜならそれが「まっとうな道徳」だから――

 封建土人国においては、それがまともな人間の「常識」だからだ。

 「日本の常識は世界の非常識」という有名な言葉は、まさに現代にこそ光り輝くのかもしれない。

  
 もうこのブログでも何度か書いてきたが、もしこのような道徳を日本から駆逐しようとすれば、そういう道徳を持つ人間を嘲笑するしかないだろう。

 そういう人々を、「世界に後れを取らせる国賊」とみなすしかないだろう。

 たとえネット上だけでもそんな雰囲気で包囲することができれば、相手が日本人なら割と簡単に陥落するはずである。


 さてところでPDCAサイクルだが――

 これはもうありとあらゆる「計画」づくりにおいて、入れるのが法律で決まっているかのように入れられているものであるのは御承知のとおり。

 しかし本当の問題は「最初にプランを持ってくること」「そのプラン作りに時間を掛けすぎること」ではなく……

 「本当にそんなサイクルを回してるのか、そもそも最初から回そうと思っているのか」

 ということだろう。

 端的に言えばPDCAサイクルとは、「計画に書いとかないといけないことになってるから、書いとく」みたいなものではないか?

 私はどれくらいの企業で、PDCAサイクルが本当に回されているのか知らない。

 しかし、「計画」を作っている企業のほぼ100%がPDCAサイクルというものをそこに書き込んでいるだろうことを思えば、

 とてもその100%が実際にサイクルを回しているとは思えない。

 もし本当に回そうとすれば、その負担は全社的にものすごい「負担」になるはずである。

 この「人が足らない」「でもやらなきゃいけない仕事は増える」御時世に、そんなこと進んでやる人/やりたがる人が、社内にどれだけいることだろう。

 もしかしてPDCAサイクルとは、日本で最も普及した「絵に描いた餅」なのかもしれない。

 いや、そもそも「計画」というもの自体、社内でどれだけの人が「積ん読」にしているものか、「そんなもの読んでるヒマはない」と思われているか、わかったものではないではないか……