プロレスリング・ソーシャリティ【社会・ニュース・歴史編】

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東レ経営研究所・社長も全員「さん」付け運動と日本の「身分制死守」道徳

 東レ経営研究所では、社長が率先して「社長も部長も全員を(役職名で呼ばず)『さん』付けで呼ぼう」ということになっているそうだ。

(⇒ J-CAST会社ウォッチ 2021年3月10日記事:上司も部下も全員「さん」づけで呼ぼう! 運動を進める東レ経営研究所社長の高林和明サンに聞く)


 これを聞いて「我が意を得たり」と思った人は、大変多いのではないかと思う。

 しかしまた、容易に予想できることではあるが――

 こんなことを本当に自分の職場でやったら、「失礼だ」と反射的に感じる日本人は、はるかに圧倒的に多いはずだ。

 人を役職で呼ぶというのは、日本においては慣習どころか道徳である。

 そうしないのは、許しがたいほどの無礼である(ということになっている)。

 いや、役職名ばかりではない。

 「先生」を付けて呼ばないと失礼だ、「さん」で呼ぶなんて許しがたい無礼で非常識だ、とされている職業もある。

 そう、弁護士とか医者とか、議員とかである。

 そして、欧米人にとっては驚くべきことと思われるが――

 作家や漫画家までも、「先生」と呼ばなきゃ失礼な職業なのだ。

 皆さんは、欧米の出版社が「アガサ・クリスティ『先生』に励ましのお便りを!」なんて読者に向けて印刷することを、想像できるだろうか。

 それは欧米人にとって(アラブ人にとっても?)、異様な感覚なのではないか。  


 私は、とある「親子がやっている病院」というよくあるパターンの病院に行ったとき、受付に

 「先生」ボックスと「大先生」ボックスが置いてあるのを見たことがある。

 もちろん先生が息子で、大先生が親だろう。

 いやはや、人目に付くところで自分トコの医師を「大先生」と表記する――

 私だったらこんなことはとても臆面もなくやれないのだが、しかしこれを違和感なくやれてしまうのが医者の世界というものなのだ。

 そもそも看護師らが患者の前で普通に医師を「先生」と呼ぶのさえ、この日本においてさえ一般世間的には非常識な行為のはずである。 

 (せいぜい「ドクター」と呼べばどうだろうか。)


 私は、たとえリベラルを自任する弁護士であっても、「先生」でなく「さん」と呼ばれたら(内心)怒り出す人はゴマンといると思う。

 そしてまた、議員でいる間は「先生」なのに、落選した途端「さん」になるというのは、これほど失礼なことがあるかとフツーに思うものである。

 しかし皆さん周知のとおり、日本人は「身分制」を愛している。

 「人に上下がある」べきだと思っており、これは今でも現代版「国体」と言っていいほどの道徳である。人としての道である。

 日本人の中には、「人には上下がある、あるべきだ」という「国体護持」のためなら、死を賭して戦いそうな人が結構たくさんいるのではなかろうか――この21世紀にも。

 はたして東レ経営研究所の取り組みが、この「神聖なる国体」を突き崩すきっかけになるかどうか。

 いや、この国体が崩壊するには、あと数十年はかかりそうな気がするのだが……