12月15日、日本経済研究センターは「2027年には日本の一人当たりGDPは韓国・台湾に抜かれる」という推計を発表した。
(⇒ 日本経済新聞 2021年12月15日記事:1人あたりGDP、27年に日韓逆転 日経センター予測)
その要因として挙げられているのは、日本の行政・企業のDX(デジタルトランスフォーメーション)の遅れである。
具体的な例としては、
●契約書などへの押印・サインが電子化されていない
●税や保険料の支払いがいまだに現金払いで、全体の半分くらいの企業は今も銀行窓口にスタッフを向かわせている
という2つが挙げられている。
さて、こういう話を聞いたとき、ありふれた日本人の率直な感想はどんなものだろうか。
それは、「そんなことで一国の生産性が下がるって本当ですか?」
というものではないだろうか。
塵も積もれば山となる、とは日本人の誰でも知っている言葉であり現象であるかもしれないが、
それでもやはり「そんなこと」で国の経済に大影響があるとは、なかなか思えないものである。
私は、もし本当にDXの遅れが、日本の生産性の低迷の原因だというのが真実だと仮定して――
なぜDXが遅れているかと言えば、それは日本人が日本の道徳や礼節を守ろうとしているからだろうと思う。
つまり、DXを代表とする省力化は「反道徳的」で「礼節を欠く」行為だと、善良な一般の日本人から見なされているからだと思う。
たとえばDXの初歩の初歩、いやDXと言うもおこがましいこととして、「電話ではなくメールでやりとりする」というのがある。
しかし皆さん、きっとご存じだと思うが……
いるのである、「メールだけでやりとりするのは失礼だ」という人が。
メールしていいが必ずそのことを電話するのが礼儀であり、マナーであり、そうでなければ無礼だという人が。
相手からメールだけ送られてきたら、カチンと来る人というものが。
それは決して少数の変わり者というわけではなく、結構な確率で日本全土に存在する。
はなはだしきは、電話でも無礼であくまで「面と向かって会いに来い」と(その人にとっては道徳的・礼節的に)考える人さえ少なくはない。
tairanaritoshi-2.hatenablog.com
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端的に言うとDXなどの省力化は、日本の「美しい国柄と礼節を穢す、国体破壊運動である」――
と言わんばかりに感じている日本人は、今でも世の中にウヨウヨいると思われる。
そういう理由でDXが進まないとすれば、これは別に政治のせいではない。
オードリー・タンのような優れた人が政府にいないから、というわけでもない。
「他人」のせいにすることはできず、あくまでも国民自身のせいである。
電話を使わずメールだけでやりとりする――
それだけでも反道徳的・非礼節的だからできないとすれば、DXもクソもあろうか。
かつてポルトガルという国は、ごく短い期間だけ世界大国に上り詰めだが、すぐ没落した。
それと同じように、明治維新から続いてきた「日本の時代」も、もう没落期に至った可能性は非常に高い。
それは世界史で非常によくあることであり、むしろ自然現象と言える。
そしてポルトガルの衰退について「そりゃポルトガル自身に原因があったんだろう」と我々が普通に思うように、現代日本の衰退もまた日本国民自身に原因があるだろう――
と感じるのも、ごく当たり前のことであるはずだ。
もっとも、その国の道徳なり国体なりをその国民が守ろうとするのは、実に自然な感情である。
それが故に自国が没落したとしても、またもって冥すべし――ただしそれを自分自身以外のせいにするなかれ。
こういうのは、「自滅の美学」という道徳を守り抜いたことになるだろうか。