中国は陝西省の「シーマオ」という遺跡は、長らく万里の長城の一部だと思われていた。
しかし最近の調査で、その一部は4300年前に遡ることが判明したらしい。
シーマオの繁栄期間は、紀元前2300年から紀元前1800年くらいの間で――
その後は、(古代遺跡について毎回聞く話だが)気候変動の理由で放棄されたと思われる、とのこと。
さて、紀元前2300年と言えば「紀元前23世紀」の幕開けである。
ヨーロッパでは青銅器時代が始まり、
メソポタミアではシュメール人・エラム人・アッカド人など、世界史の授業で必ず一言は聞く人たちが活動し、
肝心の中国では、あの「堯・舜・禹」という神話時代の三聖帝のうち、舜が前2230年代に在位していたと仮定されている。
つまりシーマオ遺跡が栄え始めたのは、最初の聖帝・堯の時代と重なる……
ということになるのかもしれない。
そして中国の青銅器時代が始まるのは、(意外なことに)ヨーロッパより遅れて、紀元前2000年から1700年の間くらいだろうと言われている。
ということは、シーマオ遺跡は、まだ新石器時代の産物だということになる。
しかし、上には上があり――
「史上最古の都市」として有名なトルコのチャタル・ヒュユク遺跡は、何と紀元前7500年にまで遡る、とされている。
私もそうだが、どうしても我々は「石器時代」と聞けば……
「毛皮を着た原始人が、石斧を持ってウホウホ歩いてる情景」
を思い浮かべるものである。
しかしもう、そんな時代ではない。
新石器時代の人類が、ある意味では空恐ろしいほど高度で大規模かつ精緻な構造物を建築できたことは、もはや世界の新常識になりつつある。
さて、ここで、上記ナショナルジオグラフィックの記事に戻ってみる。
そこにはシーマオ遺跡で見つかった「石垣の彫刻」がギャラリーで載っている。
専門家の目にはどう映るかわからないが――
私にはそれは、いかにも南米の古代遺跡によくある「怪物の顔」のように見える。
あなたも、もしこの写真を何の解説もなく見せられれば、真っ先に「南米の遺跡」という言葉が思い浮かぶのではないだろうか。
思うに、このシーマオ遺跡の報道は、またしても「伝播説」を勢いづかせるに違いない。
すなわち、「古代のアメリカ大陸(南米大陸)には、アジアからの船での渡来があったに違いない」という説である。
これは昔から欧米で根強くある説で、
昔から中国人が東の海の彼方にあるとしてきた「扶桑」という地は、
実はアメリカ大陸のことだという「扶桑説」として知られている。
そして私は、一般的に伝播説は眉にツバを付けて聞くことにしてはいるが……
我々が予想もしない大昔に、それこそ石器時代なんかに、
我々が思いもよらない大航海が実際にあった可能性は確かにあるとも思うのだ。
はたして南米に、太平洋経由で、中国はじめアジア大陸の影響はあったかなかったか。
あったとしたら、それはどのくらい古いものだったのか。
まさかそれは新石器時代にただ一回だけ起こり、その後はすっかり絶えて忘れられてしまったのか……
(こういうことも、充分あり得ることである。
むしろ、時代が古ければ古いほど起こりそうなことである。)
南米とアジア。
古代においてこの二つが繋がれたことがある確率は、
「南米とヨーロッパ・エジプト」よりは高いような気がする……
のは、私だけだろうか。
tairanaritoshi-2.hatenablog.com
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