プロレスリング・ソーシャリティ【社会・ニュース・歴史編】

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#KoToo運動広まる-「人はまず足元を(靴を)見る/見られる」は都市伝説ではないか?

 職場で女性が、(足を痛めやすい)パンプスを履くのを強制される――

 このことに反対する「#KuToo」運動というのが盛り上がっているそうだ。

 これに関連して、私は昔からずっと思っていたことがある。

 「人はまず足元を、靴を、見る/見られる」、だから靴は大事なんだ、という通念についてである。

 このセリフは、およそ日本人なら知らぬ者がないと言ってよいほど有名だ。

 だがしかし、世の中の人たちは、本当に「まず相手の靴を見る」なんてことをしているのだろうか?

 私はこれまで一度だって、「まず」相手の靴を見るなんてしたことがない。

 いや、そもそも相手の靴を見ること自体を「思いつかない」。(こういう言い方が、一番正確だと思う。)

 私が思うに、「まず」相手の靴を見ること、そもそも相手の靴を見るということ自体――

 非常に強い意志の力が必要だと感じるのである。


 いや、あなたにしても、本当に仕事中に相手の(来訪者の)靴なんて見てるのだろうか?

 私は普通に相手の顔を見るし、少なくとも上半身を見る。

 その下を見ようなんて、ほとんど考えつきもしない。

 しかし世の中の大勢の人たちは、そうじゃないのだろうか。

 「人はまず足元を(靴を)見る/見られる」というのは、非常に世の中に広まった都市伝説の一つではないだろうか?

 
 もし本当に「自分は相手の靴を見る」と言い切れる人がいるとすれば――

 それはまさに、「人はまず足元を(靴を)見る/見られる」というセリフにモロに影響されているからこそ、そう見るようになったのではないか。

 そうでなければ、まず靴を見るとかそもそも靴に目が行くとかいうのは、とても不自然な行為であるはずである。

 こんな都市伝説が日本に定着したのはたぶん、日本にはいかに「人の言うことに影響されやすい人」が多いかという現れなのだろう。 


 あと、よく聞くのが、「役所の職員がサンダルを履いて応対するなんて不愉快だ」とかいう話である。

 私はこれも不思議でたまらないのだが、あなたは本当にサンダルで応対されたら「失礼だ、不愉快だ」と思うのだろうか。

 私はそんなこと、全然感じない人である。

 何を履いて仕事していようが、何を履いて応対されようが、その人の態度自体が無礼でないのなら、感じるものは何もない人である。

 別にいいではないか、普通の靴は足が蒸れるに決まっているのだから、サンダルやスリッパを履いたって……

 こういうのもまた、このブログで何度も触れてきた、「そう思うからそう思う」の一例だろう。

 「サンダルで対応するのは失礼」と思うから、つまりそんなセリフに影響されたからこそ――

 そうじゃなかったら自力ではそんなこと思いつきさえしないのに、サンダルは失礼だなどと思うのである。

 
 ところで私は、思い返せば「服はスーツだが靴はスニーカー」という格好で職場に訪問してくる女性を、何人も見たことがある。

(私じゃない他の人を訪ねているのを、第三者として見たことがあるし今もよく見る。)


 むろん、それで彼女たちが無礼とか不真面目だとか感じたことは一度もない。

(実際、そういう人ではなさそうだ。)


 女性が仕事でスニーカーやシューズを履いていたら不愉快・不真面目・失礼だと感じる人って、どこか精神がおかしいのではないか――

 と思うのは、きっと私だけではないだろう。

 仕事中にアンタはどこ見てるんだ、ヒマなのか、相手の顔を見ろよ、と思うのは、決しておかしなこととは言えないだろう。

 彼らが軽度の精神異常者でないとすれば、たぶん「とっても感じやすい人」なのだろう。

 あまりに感じやすすぎて、他人の言うこととか世の雰囲気には、たやすく感化されるのだろう。

 ならば「#KuToo」運動がネットに広まれば、その人たちもたやすく「改宗」するような気がする……