8月31日発売の『週刊新潮』で、天理市長の並河健(なみかわ けん。38歳)氏が――
公務の東京出張中にホテルにデリヘル嬢を呼んで買春したと報じられ、同31日に会見を開いて事実を認め謝罪した。
ただし、10月1日の市長選出馬は取り消さないという。
彼がデリヘル嬢を呼んだのは、今年2月の予算陳情と、6月の全国市長会に出張した際のことである。
そして10月1日に市長選があるとなれば、そのほとんど直前の1ヶ月前にこんなことが週刊誌に報じられたことになる。
何だか、政治的陰謀の匂いを感じてしまうタイミングだ。
これはデリヘル嬢がバラしたのか(セックス中に「オレ、実は天理市の市長なんだ」と言ったのだろうか……)、
ホテルの人がバラしたのか、
並河氏はデリヘルが好きらしいと知っていた政敵が探偵でも雇って付け狙い、週刊誌にリークしたのか、
それとも(ちょっと考えにくいのだが)週刊新潮が前々からターゲットにしていたのか……
まだ週刊新潮を読めていないこともあり、普通はバレないこんなことがどうしてバレるのか不思議である。
(普通は東京で、天理市長の顔を知っている人なんてそうそういないだろう。)
さてこの件に関し、「こんなことを報道ネタにされてしまうのは可哀想ではないか、おかしいのではないか」との意見が結構強い。
もちろんデリヘル嬢を呼ぶというのは名誉なことではないが、一般人の間では「この前もデリヘル嬢呼んだわwww」なんて会話するのはかなり普通のことである。
それが世間に断罪される「悪」であるなどと思う人は――犯罪行為だと思っている人は、少なくとも男の中にはあまりいない。
ただしむろん、買春は違法行為である。
ほとんど信じられないことだが、この日本では買春も売春も全面的に法で禁止されている。
「売春防止法」というものがあり、別に未成年とのセックスでなくても、成人男女が売買春をすることは違法だと決められている――
だがしかし、だからといってそれで刑罰に処せられることはない。
売春防止法には、違反した場合の罰則が定められていないのだ。
とはいえ売春防止法では、売春を業として営むことも禁止している。(これには罰則がある)
ところがどっこい現実は(周知のとおり)、売春業が公然と花盛りである。
本件だって本当は、デリヘル嬢を派遣した業者の方がやり玉に挙げられなければならない(罰則がある以上、それは犯罪である)のに、そんな意見はネット上でさえ全然見られない。
売春防止法という法がいかにザル法であるか、おそらくは日本で一番のザル法であるか――
法律というものがいかに形骸化し得るものであるか、社会の現実がものすごくはっきりと教えてくれている。
なお、これはよく知られていることだが、立ちションと言えども罰則のある犯罪である。
それは軽犯罪法第1条第26号に定められていて、「街路又は公園その他公衆の集合する場所で、たんつばを吐き、又は大小便をし、若しくはこれをさせた者」は、拘留または科料を課すとされている。
(科料とは、1000円以上1万円未満の財産刑のことを指す。)
よって、立ちションと買春のどちらが罪が重いかと言えば、罰則があるだけ立ちションの方ということになる。
(何と言っても、軽「犯罪」なのだ。)
では、市長が立ちションしているところを激写されたら、それは週刊誌に載るのだろうか。
確かにこの時代、否定的ニュアンスで報道さえされてしまえば、世間から叩かれるのは必定である。
しかしそもそも、さすがにこんなことまでは、スキャンダル系週刊誌でも取り上げないのではなかろうか。
そしてさらに言えば、世の首長や議員さんたちの中にも、今まで出張の夜にデリヘル嬢を呼んだ人は何人もいた(いる)はずである。
なぜ彼らは報道されずに、天理市長は報道されてしまったのか。
やはりこれは、世の中の雰囲気がますます清教徒(ピューリタン)化していることと関係があるだろう。
いま「不倫」ネタが次々報じられニュース界の中心になっているのも、その一環なのだろう。
今の世間はもう、「立ちション以下」の犯罪でもないことにでも「悪」と反応するようになったのだ。
そういう反応があると見込んでいるからこそ、週刊誌もそれをネタと考えるのだ。
しかしむろん、ピューリタン的なのは「自分以外」の人たちに対してである。
これは偏見かもしれないが、私には週刊新潮や週刊文春の人たちが――
出張中や取材を終えた夜にデリヘル嬢を呼んだことが一度もないとか、風俗店に行ったことは一度もないとか、そんな人たちばかりで構成されているとは思えない。
こういうことは一般人ならやって全然問題ないが、公人だったらやってはいけないのだろうか。
地方都市の商工会議所長や社会福祉協議会の会長、銀行の支店長……
そして役所や有名企業の課長級やヒラの職員が出張の夜に風俗に行ったら、それは報道されるのだろうか。やっぱり叩かれてしまうのだろうか。
その線引きはどこにあるのか。
そしてもう一つ思うのは――
もし天理市長が呼んだのが男性だったら……しかもデリヘルではなく男性の恋人だったりしたら、それは報道されただろうかということである。
週刊新潮も週刊文春も、もしそんなことをしたらこの御時世、むしろ自分の方が叩かれるように思える。
しかし、もし犯罪でもない不倫を進んで報道するというのなら、むしろあえて公人の同性愛(趣味)を報道して当然ではないかという気もする。
はたして欧米では、「市長が出張の夜に売春婦を呼んだ」(念のために言うと、公費ではなくポケットマネーで)ということが、スキャンダル系の雑誌の記事になるのだろうか。
日本の報道業界や雑誌メディアというのが、世界の中でどんな位置にあるのか――
それは確かに、興味のある点である。