12月7日、トランプ次期アメリカ大統領の政権移行チームは、WWE(世界最大のプロレス団体)会長ビンス・マクマホン・ジュニアの妻であるリンダ・マクマホン(68歳)を中小企業局長に任命することを発表した。
これについて、感じたことをいくつか。
まず、このニュースを伝えたCNNの記事では、リンダはWWEの前最高経営責任者(CEO)と紹介されている。
それはいいとして、「WWEの女性創設者」とも紹介しているのはどうなのだろう。
アメリカンプロレスファンなら知らないはずはないが、WWE(ワールド・レスリング・エンタテイメント)は1979年から2002年までWWF(ワールド・レスリング・フェデレーション)と名乗っていた。
(世界野生動物保護基金も全く同じWWFという略称なので同基金から訴訟を起こされ、敗訴したのでWWEに改称した。)
さらにその前、1963年から1979年まではWWWF(ワールドワイド・レスリング・フェデレーション)という名称で、本当の起源は1925年にビンス・マクマホン・ジュニアの祖父ロドリック・ジェス・マクマホンがニューヨーク(のマジソン・スクエア・ガーデン)でプロレスとボクシングのプロモーターを始めたことに由来する。
今のWWEが、過去の歴史を改変・抹消して「正史」としていることは有名である。
今のWWEの正史では、アントニオ猪木の(ごく短期間ではあったが)WWF王座戴冠の事実も、猪木の懐刀であり「過激な仕掛け人」と呼ばれた新日本プロレス営業部長の新間寿(しんま ひさし)がWWF会長を務めたこと(!)も、なかったことにされている。
つまり、リンダ・マクマホンがWWEの「創設者」であるはずはないのだが――
これはあのCNNでさえ、WWEの歴史改変をそのまま認めている(WWEへの改称を、WWEの創設としている)ということなのだろうか?
そしてもう一つ、トランプ次期大統領は「彼女は、世界規模のビジネスに(今は相談役として)助言を与えている、米国ではトップの女性企業幹部の1人」と言い、「当初は13人で経営していたWWEを、世界中で800人の従業員を擁する国際企業に成長させることを助けた」と讃えたそうだが――
「従業員13人の会社を、従業員800人に成長させた」などというのは、掃いて捨てるほどありふれた話に聞こえないだろうか?
(これ、絶対そう思った人は多いはずだ。)
しかし「中小企業」局長としては、これが適度な規模と言えるのかもしれない。
だいたい会社とは従業員が多けりゃいいというわけではなく、むしろ「たった800人」で世界規模のプロレス興行を行っているのだから、従業員一人当たりの利益は相当大きいはず――まさに中小企業の星と呼んでも過言ではない、のかもしれない。
おそらく「トランプ氏がプロレス団体のトップを閣僚に起用」というニュースを聞いた人の半分以上は、「やっぱダメだこりゃ」「トランプはバカ、ふざけてる」と感じたことだろう。
プロレス団体の経営層が政権入りするなど、まさにトランプの(俗悪な)ポピュリズムの究極の表れという見方・論評をする人もいるだろう。
別に本件に限ったことではないが、私がこういうときいつも思うのは、そう感じたり・言ったり・書き込んだりしている人の九割くらいは、リンダ・マクマホン(そしてトランプ)の足元にも及ばない力量しか備えていないのだろうな、ということである。
もっともこういう人事が実現するのは、日米の国民性の違いが鮮明に現れていると言えないこともない。
日本は一応はまだ世界の経済大国であるにもかかわらず、企業人が政権入りすることはほとんどタブーに近い扱いを受けている。
どんな大企業あるいは急成長する新鋭企業の社長でも、彼/彼女が大臣に任命される可能性はまずない。
それはもちろん、国民が反発するからである。
日本はいまだに官尊民卑だ、だからダメだとよく言われるが、言うまでもなくそういう日本の風土を支えているのは日本の庶民に他ならない。
たとえばユニクロなどの社長が――特に小売業関連の社長が――経済産業大臣に任命されるなどとなれば、ネット界には猛反発の嵐が吹き荒れるだろう。
だからこそ政治家はそんなことをあえてしないのだが、アメリカではそれができるということは、やはり日本人とアメリカ人の感性の違いとしか言いようがない。
しかしそれにしても、どうしてプロレスラーをはじめプロレス関係者というのは、こんなにも政界への進出率が高いのだろう。
日本のアントニオ猪木は参議院議員であり、馳浩(はせ ひろし)は衆議院議員で文部科学大臣も務めた。
むろんアメリカでも、ジェシー・ペンチュラというミネソタ州知事を務めたプロレスラーがいる。
日本でもアメリカでもプロレスより野球やゴルフの方がはるかに人気があり「格上」と思われているはずだが、しかしプロ野球選手やプロゴルファーが政界入りした事例は微々たるものに違いない。(そういう人がいたとしても、プロレス関係者よりずっと少ないはずだ。)
これは「プロ野球選手やプロゴルファーは、己の(一介のスポーツ選手に過ぎないという)分をわきまえているから」という理由で片付けてよいものか――
「プロレスと政治」そして「プロレスに手を染めた者の、政治への適性」というのは、あるいは政治学者らが真剣に検討するに値する課題ではないかと思える。
そしてもし、日本でも新間寿が外務大臣にでもなっていたとしたら――
いったい日本外交はどうなっていたか、見てみたかった妄想に駆られるのである。