2016年11月25日、ついにフィデル・カストロが死去した。享年90歳。
カストロは、国際社会における「最長不倒翁」だった。彼の名前と「キューバで革命した人」ということだけは知っている人にとって、「え、まだ生きてるの?」と思わせる男だった。
なにせ、1959年の革命成功から57年。
人類が史上最も滅亡に近づいたあのキューバ危機(1962年10月~11月)から54年。
キューバ危機の当事者だったケネディ・米大統領はその翌年11月22日に暗殺され、ソ連のフルシチョフ書記長はさらにその翌年に失脚し、1971年に死去した。
一人カストロのみが90歳の長寿を全うし、政界からは2008年に引退したとは言え、「革命の英雄」「カリスマ指導者」として没した。
「家康が最も恐れた男」っていったい何人いるんだ、と言われることがよくあるが、フィデル・カストロは(故オサマ・ビン・ラディンを除けば)間違いなく「アメリカが最も恐れた男」だったと言っていいだろう。
どうもアメリカは、ケネディ暗殺の黒幕はカストロではないか、と本気で疑っていたのは事実らしい。
それも当然と言えば当然の話で、アメリカ政府は(革命でキューバのカジノ利権などを失った)マフィアとまで手を組んでカストロ暗殺計画を進めていたし、それはケネディも承認していたことだった。
またケネディは、確かに失敗が明らかになってからは軍部強硬派を斥けて空軍による支援を行わなかったものの、亡命キューバ人によるキューバ反攻作戦にゴーサインを出してもいる。(ピッグズ湾事件。1961年4月15日~19日)
確かに、もし私がカストロなら、報復でアメリカ大統領を暗殺するというのはいかにもやりそうなことである。
カストロは、革命の英雄だった。その栄光とカリスマ性は、長生きすることによってさらに高まった。
「あの人が、まだ生きている(そして失脚もしていない)」という単純と言えば単純過ぎる事実は、人に感慨や畏敬の念をもたらすものである。
(だから政治家に限らず誰でも、人間が地位や権力なんかにしがみついて放そうとしないのは、自然であるばかりか合理性がある。)
しかもその後継者には、自らの実の弟であるラウル・カストロを選んだ。
社会主義国のくせに世襲制をとるという点で、キューバとカストロは北朝鮮の金王朝とほとんど大差ない。
なのに、日本人の北朝鮮とキューバに対するイメージには、天地の差・雲泥の差がある。
北朝鮮はろくでもない国だしはっきり嫌いだが、キューバに対してはむしろ好感を持つ――少なくとも嫌いとは言わない。
それが、平均的な日本人の感覚なのではないだろうか?
たぶん、共産主義やソ連の脅威を日本人が最も感じていた1970年代~1980年代前半でさえ、日本人の対キューバ感情はそんなに悪くなかったと思う。
もっと言えば、断固として共産主義が大嫌いだった人でさえ、「キューバだけは例外」だったのではないかと思う。
これはもう、たくまざる「イメージ戦略の勝利」と言っていいのではないだろうか?
なぜカストロとキューバのイメージが(反共的日本人の間でさえ)悪くなかったのか――
一つには、あのチェ・ゲバラ(1928-1967)とカストロが盟友だったことがあるだろう。
ゲバラこそは史上最高の革命ヒーローであり、日本で言えば坂本龍馬的な人気・声望・尊敬を得たカリスマである。
しかし坂本龍馬については「本当はたいしたことなかった」「いい加減な男だった」などと言われることもあるが、ゲバラについてそれはない。
もしゲバラが嫌いだとネット上ででも言おうものなら、袋だたきにされそうな雰囲気もある。(良くて「逆張りしやがって」と言われるだろう。)
共産「革命」なんてしょせんまやかしだ、悪が悪に代わっただけだ、とにかく共産主義者は嫌いなんだ――
そういう人でも、ゲバラについてだけは例外となる。だからその繋がりで、カストロもキューバも例外となる。
こういう感覚回路・思考回路・イメージ形成があるのだとすることは、けっこう正確だと思うのだがどうだろう?
ゲバラ&カストロの「イメージの勝利」は、共産主義・社会主義の評判が地に落ちて久しい現代にも生き続けてきた。
そしてたぶんこれからも、「●●資本主義」と呼ばれる世界の主流・潮流に抗うシンボル的な存在であり続けると思われる。
それにしても今年は、イギリス国民がEU離脱を選択し、タイのプミポン国王(この人も「最長不倒翁」だった)が死去し、トランプが米大統領になることが決まり、年末になってカストロも死去した。
どうせ来年もその次の年も、毎年毎年「一つの時代が終わった」とか「激動の年」とか言われるに決まっているのだが、それでもやはり2016年は大きな節目の年だったのだろう。