プロレスリング・ソーシャリティ【社会・ニュース・歴史編】

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自民党総裁に岸田文雄が当選-地味な世襲政治家の勝利

 9月29日、自民党の総裁選が行われ、岸田文雄氏が河野太郎氏を決戦投票で破って当選した。すぐに次期首相となる。

 今回の4候補の中で岸田氏は、世間の知名度において最も劣ると言って間違いではない。

 つまり最も地味でアクが弱くクセがなく、無色透明という言葉に最も近い人である。

 一言で言って最も「無難な人」となるだろうか。

 これこそ日本的な最高指導者の選び方、と悪く言おうと思えば言える。

 思えば今の菅首相も、日本以外の民主主義国で最高指導者になれるとはとても思えない人ではあった。

 雄弁や活力どころか、生気さえ疑われるような人ではあった。

 しかし、最も無色透明で中道に近い人を最高指導者に選ぶというのは、これはこれで一つの見識ではある。

 いやもしかしたら、これこそ民主主義の成熟ないし到達点を示すものかもとも言えるかもしれない。


 もちろん野党は、「自民党は何も変わっていないことが示された」と言っている。

 野党なのだからそう言うのは当然であって、与党の指導者が交代するのを言祝ぐことなどするはずもない。

 ただ一つ、岸田氏もまた(決戦投票で争った河野氏と同様に)世襲の政治家である、しかも三代目の名門である、という点だけは、確かに自民党というか日本の政界が何も変わっていないことを示すとは言えるだろう。

 岸田氏の父は、やはり自民党衆議院議員であった。

 思えば河野氏小泉進次郎も、自民党の「注目株」「若手大物」と目される人のかなりの部分は、世襲政治家である。

 普通の感覚では、こういう国は後進国と見なされる。

 日本人のほぼ全員が、もしアフリカのどこかの国がこういう状態であると知ったら、やっぱ後進国だよねと感じるはずである。

 しかしその当の日本人のかなりの部分が、世襲議員に進んで票を入れている。

 年寄りばかりがそうだというわけでもなく、若い世代でも世襲政治家を(ネット上では)熱烈支持さえしている人はかなりいる。

 多くの日本人は、「やっぱ議員の息子・娘・娘婿に入れるよね。他の人なんて知らないし」とナチュラルに「善意に」思っているわけである。

 たぶんその人らは、世襲議員以外の候補に票を入れるのは、「ポッと出の」候補に票を入れるのは、

 「選挙に対して不真面目である」とまで思っているのではなかろうか。

 何だかんだ言っても、この点で日本人は(社会主義国なのに普通にトップが世襲されている)北朝鮮と、とても親和性があるのではなかろうか。


 さて、岸田首相にとって最初の関門は、直近に迫った衆議院選挙である。

 緊急事態宣言は9月30日に解除され、コロナ感染者も一応(そして理由は不明だが)激減しているので、この点は自民党有利。

 10月1日に正式発表される真子さま結婚問題は、やや自民党不利。

 東京五輪の影響はほぼ忘れられていると思われるので、自民党に中立といったところだろうか。

 それにしてもトップをすげ替えれば体制が一新した印象をもたらせるのは、やはり政権与党にとってかなり有利な点ではある。

 岸田政権のお手並みまたは命運は、いかに… 

 

「親ガチャ」には一つだけ解決策がある

 昨今、話題なのが「親ガチャ」である。

 結局人間、「生まれ」で人生が決まる。

 親の社会的地位や収入で人生が決まる。

 いくら努力したところで、恵まれた生まれつきの人には勝てない。

 たまたま貧困家庭に生まれたら、それだけでとてつもないハンデになって貧困から抜け出せない。

 これは、現実世界を悟ってしまった現代の若者の諦め又は絶望の表れだとされている。

 そしてこういう雰囲気は、日本だけでなく世界各国に広まっているようだ。

tairanaritoshi-2.hatenablog.com


 

 さて、この親ガチャというもの、どう考えても解決策はなさそうである。

 階級差をなくして人間平等になるはずの共産主義化が実現したとしても、なお解決などできはしない。

 どうせそういう国でも(旧ソ連北朝鮮が有名だが)、世襲の特権上流階級ができるに決まっているからだ。

 しかしここに、解決策があると言ったらどう思われるだろう。

 その解決策とは、物理的・社会工学的解決ではなく、心理的解決である。

 こう言うと、まるで往古の名探偵――史上最も「鼻持ちならない名探偵」ファイロ・ヴァンスが代表――の言い草のようではあるが、どういうことか。

 それは、恵まれた生まれつきの人を「尊敬しない」ということである。


 恵まれた生まれつきというのは、別に親ガチャの示すような「富裕層に生まれること」には限らない。

 それよりもさらに深刻なのは(言い訳が効かないのは)、「生まれつきの能力差」があることだろう。

 あなたがたいした能力なく生まれたというのに、

 他の誰かは優れた能力を持って生まれ、世の中で活躍し(有名人になり)、あなたよりはるかに高収入を得る――

 人はこれにこそ絶望し、打ちのめされるのではないか。

 そして現代、ネットを見てもテレビを見ても、どこもかしこも「金持ちスゴい(=能力スゴい)」賛歌が流れている状態なのだから、それはもう大勢の人間が打ちのめされて当然である。


 しかし誰もが「諦めて」思うように、それは仕方ないことである。どうにも変えられない現実である。

 人間の能力に差があるのは岩盤のように硬い事実であり、

 その結果としてスゴい人が活躍し、そうでない人がウダツが上がらないのは、どうにも解決しようがない。

 しかし、である。

 特定の人間が何か飛び抜けた能力を持って生まれてくるのは百パーセント偶然なのもまた、それよりもはるかに硬い事実だとは言えまいか。

 いわばそれは、宝くじに当たって生まれてくるのと同じである。

 ではあなたは、宝くじに当たった人を尊敬するか。

 羨ましいとは思うにしても、尊敬するのはおかしくないか。


 具体的に言おう。

 あなたはアレクサンドロス大王を尊敬するか、アインシュタインを尊敬するか。

 私はどちらも尊敬はしない。なぜならアレクサンドロスは戦争の上手い一般人であり、アインシュタインは物理の超得意な一般人だからである。

 二人とも「たまたま」そういう才能を持って生まれてきたのであり、そういう宝くじを引いて生まれてきたのである。

 また、彼らを尊敬することのアホらしさは、こう考えてみればさらに感じられるだろう――

 もしアレクサンドロス(と全く同じ人間だとしよう)が、江戸時代の日本の1万石くらいの藩の農民に生まれていたらどうだろう。

 もしアインシュタインが、古代インドの被差別民に生まれていたらどうだろう。

 あなたは彼らを尊敬するどころか、知りもしないし関心もないのが当たり前である。

 そしてそういうアレクサンドロスアインシュタインが、たぶん今までの人類史の中にウヨウヨいたし、名前も残さず死んでいったに違いないことを思えば、いわゆる天才を称賛するのがバカバカしくなってこないだろうか。 
 

 つまり親ガチャ問題の心理的解決とは、

 社会階層的だろうと個人能力的だろうと、とにかく「恵まれた生まれつきの人」を尊敬しないし称賛もしないということである。

 彼らはたまたまそういう風に生まれたのであって、活躍するなら勝手に活躍すればよい。

 恵まれているのだから、それに応じた活躍をするのは仕方ない。

 ちょうど、アラブの王族に生まれた人が贅沢するのが勝手であるのと同じことで――

 それは他人には、(その人が自分におこぼれをくれないならば)何の関係もないことである。知ったことではないのである。

 この心理的解決の強みは、それが厳然たる事実に立脚していることにある。

 「能力を持って生まれてくるのも、金持ちの家に生まれてくるのも、全ては偶然」

 という事実を否定できる人が、どこにいるだろう。

 いるとすればそれは、「こんな恵まれた境遇に生まれついたのは運命」「自分は神に選ばれた、愛された」「これは前世からの宿縁」と信じることができるような、オカルト迷信世界に足を踏み入れた人間だけである。

 (もっとも、だからこそ「知性のある」人でもオカルト陰謀論に魅せられる、という珍現象が普通に起こるのだろう。)


 活字プロレス界には、「勝者には何もやるな」という名言(なのだろう、たぶん……)がある。

 たまたま恵まれた境遇に生まれてきた勝者は、勝手に勝利すればよい。

 しかし彼らや彼女らに、尊敬も称賛も与えなくていい。

 それは、ただの偶然の結果だからである。宝くじの当選者だからである。

 もしこんな世界観を「寂しい」と感じ、拒絶するなら……

 それはやっぱり、親ガチャと格差に絶望する人間は、増える一方になるに違いない。

 

尊敬なき社会-上-「尊敬」は民主主義の敵である

 

 

ソドムは隕石爆発で滅亡した?-聖書と神話は事実を物語るか

 「ソドムとゴモラ」といえば、聖書の中で神の怒りに触れて滅亡した町として有名である。

 神は何に怒ったかと言えば、ソドムの場合は住民が男色に耽ったことであるとされ――

 おかげで英語の「ソドミー」は、男色を示す言葉となったとなったのは周知のとおり。

 これは現代の風潮からして、聖書の神のコンプラ違反やLGBT差別が非難されるところだろう。


 それはともかく9月20日アメリカとヨルダンの共同研究チームは――

 「天からの炎と硫黄」で滅ぼされたとするソドムの話は、現実にあったことだと言ったも同然の発表をした。

 ヨルダン渓谷の南部の高台の「トール・エル・ハマム」と呼ばれる都市遺跡の発掘により、

 紀元前1650年頃(青銅器時代中期)にその街の上空で直径50メートルほどの隕石が爆発し、

 その威力はTNT火薬換算で約12メガトン、広島型原爆の100倍以上の破壊力を持ち、

 これにより街は完全に破壊され、その周囲は300年から600年にわたり無人の地となったという。

gigazine.net



 さて、もしこれが本当の話なら、エラいことである。

 ソドムは(ソドムのモデルだったかもしれないこの街は)長い人類の歴史上ただ一度、隕石によって破壊された街及び人口密集地だったということになるからだ。

 ソドム以前は知る由もないとして、ソドム以後の人類は、そんなことを一度も経験したことがない。

 しかしそれは確かに一度は起こり、それが聖書に記録されていたことになる。

 むろん昔の人類にその原因が隕石の爆発だと思いつくはずもなく、まさに神の怒りとしか思いようがなかったろう。


 神が火と硫黄を天から降らせた、という表現は、その時代として最高度の正確な描写とさえ言える。

 聖書に書かれた出来事が本当にあったことか調べる考古学を「聖書考古学」と言うが、今回の発表が立証されればそれは、史上最高の聖書考古学の成果と言ってもおかしくない。

 これは、いまだ欧米に(特にアメリカに)多いという聖書根本主義者(ファンダメンタリスト)――聖書に書いてあることは全て真実だとする――にとって、むろん強力極まる追い風である。

 そしてまたおそらく「ソドム」の街には、本当に男色の風習が――それが天罰の原因だと言い伝えらる程度には――、確かにあったのだと思われる。


 それにしてもこの話、当時のソドム周辺の住人にはとんでもない大災厄・大悲劇ではあるが、それだけに現代人にはものすごいロマンの一種となっている。

 オカルト好き・天文学好きの人なら、あの1908年6月30日にシベリアの原生林に落下したツングースカ隕石のことを知らない人はいない。

 そしてそれが、よりにもよって中央シベリアなどという辺鄙極まる地方ではなく――

 もし同時代の人口密集地、たとえばロンドンとかニューヨーク、あるいはモスクワや東京に墜ちていたら世界はいったいどうなっていたことか、空想したことのない人はいないだろう。

 だがそういうことは、紀元前1650年頃においてまず間違いなく地球最大の人口密集地であったに違いない地中海東岸~メソポタミアの地で、実際にあったということになる。

 これは(我々の知らないうちに)、間違いなく人類の歴史は変わっていたということである。

 隕石の衝突・空中爆発で大都市周辺が全滅する、ということが現実に一度はあったのなら、それはこれからも起こるだろう。

 そして聖書がその事実を記録していたとするなら――

 その他の世界の神話や伝説にも事実が記録・反映されていると考えるのは、もちろん当然のことになる。 

 そうなるとあの、歴史上最も奇怪な神話……

 ヨーロッパ人が到達する前の中米・南米において、「白い神」が東から訪れて「私はまた帰ってくる」とか言って去って行ったとする伝承は、もしかして事実の記録なのだろうか……