プロレスリング・ソーシャリティ【社会・ニュース・歴史編】

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ハラミ会とウォール街の新ルールはアリかナシか-女性は「リスク」の一種になった?

 「ハラミ会」って焼き肉のハラミを楽しむ会かと普通に思えば、何と――

 セクシャル「ハラ」スメントを「未」然に防ぐ飲み会、

 すなわち女性を招かず男だけでやる飲み会のことだそうだ。

 世の中には、どこにでも知恵者がいるものである。

 こういうことなのがアリなのかナシなのか日本のネットで話題になる一方、まるで符節を合わせたかのように、アメリカのウォール街では「とにかく女性を避けよ」という新ルールが浸透しかけている、との記事が載っている。

abematimes.com

 

www.bloomberg.co.jp


 それにしても、このabemaTIMESの記事の最後に載っている東京工業大学准教授のN氏のコメントは、何としても笑いを誘ってしまう。

 N氏自身は「ハラミ会についてはナシ派」だとするのは良いとして――


●女性社員だけ参加できないので、むしろハラミ会がハラスメント。そのハラミ会しか開催されないのであれば、限りなくハラスメントに近いと思う。

●しかし、ブルームバーグ記事で紹介されたようなルールの明文化については、「やりすぎかもしれないが、規範としては男性を中心に注意しないといけないことは多いので考えてみてもいいと思う」。


 いやいやいったいどっちなんだ、と思いたくなる人は、決して少数派ではないだろう。

 これって、まさかとは思うが――


●日本のことなら(日本の男なら)たやすくハラスメントと断定して叩いていいが、

●しかしグローバルなアメリカの、それも最先端のウォール街の話であれば、さすがに簡単に叩くのは腰が引ける


 ということなのだろうか。

 そういう内心が、コメントにモロに出ているのだろうか。


 しかしそれはともかくとして、日本でもアメリカでも――

 もはや女性というのは悪く言えば、「腫れ物・病原菌・接してはならない危険人物」のような扱いになりつつあるかのような両記事だ。

 いや、良く言えば、そしてもっと正確に言えば、男性の意識の中で(少なくとも職場における)女性とは、

 「惹かれる存在」とか「職場の花」とかいうものではなく、ビジネス上・キャリア上のリスク要因の一つとしてカテゴライズされつつあるのだろう。

 ウォール街の「1対1で女性と会うな、一緒の場にいるな」という新ルールは、まさにヤクザやクレーマーへの対応マニュアルを彷彿させるではないか。

 こういう新世界が来ようとは、よもやアメリカ人も日本人も夢想だにしていなかったろう。

 しかし少なくとも日本では、こういう社会の潮流は個人レベルでずっと続いてきたものだと思う。


 職場の異性どころかプライベートの異性とすらも、接することがリスクフルかつ(精神的にも時間的にも金銭的にも)コスパの悪い行為である、

 それを言うなら、人と接すること自体がリスクであり面倒である――

 と、おそらくは日本人の半分くらいは思っていると思われる。

(たぶん、若い人の方がその割合が多い。)

 

tairanaritoshi-2.hatenablog.com

 

tairanaritoshi-2.hatenablog.com


 人がリスクや面倒を回避しようとすることを、誰も責めることはできない。

 むしろリスクを減らすことは、ビジネスパーソンのぜひともやるべきことである(と、されている)。 

 そうすることが今の世の中では「正しい」し賢明なのである。

(別の言い方をすれば、「環境への適応」だろう。)


 もちろんその行く末は、さらなる非婚化と少子化ということになるのだろうが……

 とにもかくにも「正しい」ことをしていてそうなるのなら、それもまた国民自身の選択である。

 「足による投票」という言葉があるが、これはさしずめ「行動による国民投票」とでもなるだろうか。

東名あおり運転被告は無罪にはならないだろう-裁判員と裁判官の感情論

 ドライブレコーダーの売上を激増させたという、あの「東名高速道路あおり運転死亡事件」の公判が、12月3日に始まった。

headlines.yahoo.co.jp

 

www.asahi.com


 検察側は「危険運転致死傷罪」で起訴しているが、しかし被害者死亡時の状況は、被害者も加害者も「車から降りているとき」だった。

 そこで第二の矢として「監禁致死傷罪」を用意しているが、「高速道路上で胸ぐらを掴む(腕を掴む)」のを監禁と言うのは、いかにも常識的には無理がある。

 よって、弁護側が無罪を主張しているのは当然だが、本当に無罪になるのではという観測も出ているようだ。

 しかし私は、無罪にはならないだろうと思う。

 「感情を排して感情を推し量る」というのも変な言い方だが――

 いくらなんでもこの事件の裁判員(一般市民)は、この被告を「無罪にしないと仕方ない」とは誰一人思わないはずである。

(この点、有罪率100%と言っても過言ではない。)


 そして裁判官の方も、もちろん「コイツは有罪にしないといけない。無罪にはできない」という結論が、まず先にあると思う。

 だいたい「高速道路上で胸ぐらを掴むor腕を掴むのを監禁と呼ぶには無理がある」と言っても――

 法律の世界って、「この条文の****という文言の意味には、@@@@が含まれる」というような、

 普通に読めば誰が読んでもそんなこと思いつかないような解釈を、昔からしてきているものである。

(少なくとも私は、むかし法律の勉強をしたときに、そう感じた。)


 そしてまた法律の世界って、「結論ありき」の世界でもある。

 妥当な結論や落としどころがまずあって、それに持って行くための理屈付けをしていくというのは、むしろ裁判の王道のような気がする。

(特に、公害訴訟がそうだ。

 あれはまず「企業にどうやって責任を負わせるか」という結論が先にあり、そのための理論構成を組み立てている。

 むかし法律の勉強をしたとき、当の教科書がそういう書き方をしてあった。)


 さらに付け加えて言えば、裁判官だって、こんな注目される裁判でこんな被告に無罪判決なんて最初から出したくないのはわかりきっている。

 いくら中立公正であろうとする裁判官にしても、そんなことで世間からボロクソ叩かれるのはイヤである。

 だから、無罪というのはないだろう。

 
 もっとも、有罪になれば弁護人は控訴する道を選ぶだろうが、その弁護人の言い分を叩いたってしょうがない。

 弁護人とはそういう「仕事」である。

 どうせ本件の弁護人だって、いや、こういう被告人に付く弁護士のほとんど全員が――

 自分の弁護する被告人のことを「このクズが」と思いながら仕事しているだろうことは、簡単に推測できるではないか。

フランス大革命ならぬ大暴動-欧州はトランプ化して再分裂する?

 燃料税の引き上げをキッカケとしたフランス全土での暴動が、まだ収まらないようだ。

 フランスの象徴とも言われる「パリの凱旋門」のマリアンヌ像も、一部が破壊されたとのこと。

headlines.yahoo.co.jp

 

www.bbc.com


 さすがフランス、革命の母国、近代革命発祥の地。

 やっぱりフランスはこうでなくてはな――

 と、なぜか自分が鼻息を荒くする人もいるかもしれない。


 それはともかくこの暴動、確かに燃料税(日本で言う揮発油税とかガソリン税?)の値上げだけが理由であるはずはない。

 やっぱりこれは、人民の不平不満が溜まりに溜まっていたのだろう。

 その性質はたぶん、アメリカでトランプ大統領を誕生させたような、「反エリート・反セレブ」の感情であるように思える。

tairanaritoshi-2.hatenablog.com


 フランスのマクロン大統領は40歳の若きエリート、まさに民衆の、とりわけ世の“負け組”の反感を買うにはうってつけの存在である。

 きっといい加減フランス人も、こういうエリートの勝ち組への反感が抑えきれなくなってきたのだろう。

 いくらEUが巨大経済圏で、グローバルな新世界を航海していける唯一の希望の船だからって――

 そこに自分の席がなければ、誰にとっても何の意味もないのである。

 最底辺の船室をあてがわれるくらいなら、上の船室に押しかけたくなるのは人の常である。 


 そして隣国ドイツでも、メルケル首相の率いる与党が劣勢に転じていると聞く。

 なんだかこの先、トランプを生んだ力はヨーロッパをも席巻し(いや、もとから欧州にもそんな雰囲気は広まっていたはずだが)――

 小泉チルドレンならぬトランプチルドレンが各国で政権を取り、

 あげくの果てにはイギリスに続き、他の各国すらEUを離脱することだってあり得ないことではない。

 特にフランスとドイツのどちらか一国でも離脱すれば、それだけでEUは崩壊したも同然だ。

(少なくとも、世界中の人がそういう印象を持つ。)


 しかしたとえそうなったとしても、確かにEUの試みには意義があった。

 なんであれ失敗した実験もまた、非常に有意義なものである。

 「そういうことはできない」とわかるだけでも、人類にとって大きな進歩である。

 
 これは単なる、個人的な印象に過ぎないが――

 ヨーロッパって、やっぱり「分裂」している方が、ずっと自然な姿なのではないだろうか?