プロレスリング・ソーシャリティ【社会・ニュース・歴史編】

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働くことには危険がいっぱい~或る車掌の飛び降り事件~

 また一つ、すぐ忘れられるだろう小さな悲劇が起きた。


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 9月21日午前11時頃、大阪府東大阪市近鉄奈良線東花園駅で、電車の運行中止について客から詰め寄られていた男性車掌(26歳)が突然、制帽と制服の上着を脱ぎ捨ててホームから下り、線路上を約90メートル走った後、高架から約8メートル下の地面に飛び降りた。

 車掌は腰と胸の骨を折ったが、命に別条はないという。

 近鉄によると、その30分ほど前に、同線河内小阪駅で、高齢女性が電車に飛び込む人身事故が発生し、大阪難波東花園駅間で運転を見合わせていた。

 車掌が乗務していた電車は大阪難波駅行きだったが、これに伴い東花園駅で運行を取りやめることになり、車掌はホーム上で複数の客から苦情を言われていたという。ホームには約1000人の客がいた。

 近鉄は当時の状況について、車掌から詳しく事情を聞く。近鉄は「車掌が不適切な行動を起こしたことは遺憾で、心よりおわびします」とコメントした。

(読売新聞9月21日記事)

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 なお、NHKニュースによると、この車掌は制帽と制服を脱ぎ捨てる直前に「もう嫌だ」などと叫んでいたらしい。

 この原因となった高齢女性というのは「電車に飛び込む」という表現がされていることから自殺の可能性が高いと思うが、全く罪作りで迷惑なことである。

 さて、駅員・鉄道職員というものは、今となっては学校教師と同じくらいリスクフル・ストレスフルな職業だというイメージが世間一般に広まっていることと思う。

 以前には女性乗務員が電車内で乗客に性的暴行を受けるという事件(2008年、JR東海道線グリーン車内)もあったし――

 駅員への暴力・暴言が相も変わらず繰り返されていることは、誰もが知っているからである。

(直接見たこと/何度も見たことのある人も多かろう。)


 一昔前なら、駅員さんというのは「小学生のなりたい職業」にけっこう高順位で上がっていたのかもしれないが、今やまともにニュースを見る人間でそんな志望を持つ人は少ないだろう。

 いや、というよりも――

 この手のニュースをしょっちゅう聞いているうちに、日本人はどんどん「働くことは嫌で、危険で、ろくでもないことである」という意識を植え付けられていると思う。

 先日の美人資本主義についての連続記事では、

 「何を見てもどこに行っても美人ばかりの世の中だから、男の女に対する顔面レベルの要求水準はどうしても上がる」=「自分に身近な女性と恋愛する気にならない」

 との意識が浸透していることを書いてみたが、それと同じような現象が労働面でも起こっている、ということである。


 実際、今から就職しようとしている人――いや、いま現に働いている人で、働くことが希望だとか喜びだと感じている人がいったいどれほどいることだろう?

 我々は、仕事をするとは、この車掌のような目に遭うことだと知っている。

 仕事とは、人と接することである。サービス業ならなおさらのことである。

 そして現代は、ほとんど全ての仕事がサービス業の色合いを帯びている。

 「日本人は労働を尊ぶ、欧米人は労働を苦役と捉える」とか何とか言われてきたが、本当は日本人こそ労働は「必要悪」ないし「原罪」だと感じているのではないだろうか?


 このブログで何度も書いてきたことだが、現代日本人にとって最大のリスクは「人と接すること」である。

 最近それこそ「小学生のなりたい仕事」に「ユーチューバー」が上がっていたからといって、懸念や心配や揶揄・嘲笑を記す文言がネットにちらほら見られた。

(もっともこれは、大阪府内のたった1校の小学校の調査で3位になっただけのことだが)


 しかし私は、「ユーチューバーになりたい希望」を笑わないし心配もしない。

 それはむしろ、環境に対する当たり前の適応だと思う。

 だってあなた、まともに勉強して社会に出て働けば、こんなことになるんですよ。

 他人が線路に飛び込んで電車が止まれば、ホームにいる駅員が大勢の客に詰め寄られて苦情を言われるんですよ。

 しかも「もう嫌だ」と帽子も服も脱いで高架から飛び降りて重傷を負えば、自分の属する会社は「不適切な行動をお詫びします」と言うんですよ。

 そりゃあもう、「まともに働きたくない」「働いたら負け」だという、2ちゃんねるアスキーアートで有名になったセリフを実感しないわけにはいかないじゃないですか?

 株のデイトレーダーとかユーチューバーになって、人と接さず願わくば大金を稼ぎたいと思うのは、むしろまっとうな感性ではないですか?
 
 
 思うに駅員という職業は、21世紀になった当たりから志願者がガタ減りした職業の一つだと思う。

 むろん、志願者は今でもまだ採用予定枠を超えるほどいる――

 だから気付かれないだけであって、本当はもっと多くの志願者(駅員を就職候補の一つに含める人)がいたはずなのである。

 だが、こういうニュースを聞くことによって、多くの人が駅員として働くのを初めから考慮外にしたことだろう。

 もちろんその中には、優秀な人材も多数含まれていたことだろう。

 しかし駅員とは、もし子どもが「駅員になりたい」と言い出したら、それこそ親が心配すべき職業の一つになってしまった。

 クレームや暴力を受けるリスクが高ければ、リターン(報酬・給与)もそれに見合って高いのが世の常道のはずであるが――むろん、リターンはさほど高くない。

(ひょっとしたら、日本の大方の仕事はこういうハイリスク・ローリターン型になりつつあるのかもしれない。)


 そしてやはり思うのは、人と接することが多ければ多いほど人生のリスクは高まるということである。

 「人間の安全保障」は、人と接することによって脅かされる。

 もちろん人と接するリスクを負わねば生活費というリターンは得られないのだが、こういう傾向はなくすべきだし実際なくなる方向に向かうだろう。

 不特定多数の「お客様」に、へつらわなければ生きていけない――これは奴隷の人生である。

 むろん私は奴隷制に反対するし、暴君は殺すべきだし圧政は打倒すべきだと思う。

 奴隷の人生を送らないようにするのなら、核戦争でさえやる価値がある。

 この車掌さんは重傷ながら命に別状はなかったようだが、こんなことで死んだり負傷するよりは、戦争でそうなる方がはるかに栄光と意義がある――と、あなたは思われないだろうか?