プロレスリング・ソーシャリティ【社会・ニュース・歴史編】

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小室哲哉の不倫引退で「文春砲」へ大批判-社内でも見下される“賤業”?

 かの「文春砲」(週刊文春)が小室哲哉の不倫をスクープしたことで、小室哲哉は引退を表明した。

 このことでファンからはもちろん、ホリエモン堀江貴文)、舛添要一(元東京都知事)らが一斉に文春批判にかかり、週刊文春の公式ツイッターが炎上状態になっているそうだ。

www.hochi.co.jp

 

news.yahoo.co.jp

 

 これに対して週刊文春側は、雑誌の公式アカウント・「文春砲」の公式アカウントの両方で完全に沈黙しているとのことだが――

 “報道する側”というのは、いざ自分が批判されると往々にしてこんなものである。

 これが公共機関とか有名大企業とかなら「説明責任を果たさない」として、それこそ週刊文春はじめマスコミ陣にボロクソ批判されるに決まっているが――

 やっぱりここでもどこででも、「自分だけは例外原則」というのは働くのである。


 ところでちょっと疑問に思うのだが、小室哲哉のような音楽家の“引退”というのは何を意味するのだろう。

 それは「もう音楽を作って発表するのは金輪際止める」ということだろうか。

 しかしこれ、いとも簡単に“復帰”できそうな話ではないか?

 小室哲哉が天才的な音楽家なら、次なる音楽は頭の中で雲のように湧いてくるはずである。

 それを譜面に書き留めておかない、というのは、どうもこの種の人らの性格上、できないことのように思える。

 そして書き留めておくならば、やっぱり発表したいと思うのではないか。 

 別に予言する気は毛頭ないが……

 ほとぼりが冷めれば、たぶん彼は復帰すると思う。

(もっとも彼自身が、不倫報道にちょうど合わせて才能の枯渇を感じていたというなら話は別である。)


 さて、「このごろ日本で流行るもの」として猛威を振るう文春砲にも、ついに世間からの猛反動に見舞われたかのようであるが……

 しかしこんなこと、今に始まったことではない。

 思えば1980年代あたりから、テレビのワイドショーに出てくる「芸能リポーター」については、「ありゃ何だ、アイツは何だ」と思われ続けてきたはずである。 

 そして今でも――

 他ならぬ文藝春秋社の社内にあっても、「文春砲」関係者は“下賤な部門”と見下されているのだろう。

 たとえ文春砲が会社の売上げのかなりの部分に貢献しているとしても、なおそうであるに違いない。

 同じ社内の同僚であっても、政界記事や経済記事の担当セクションに比べれば、はるかに“位(くらい)”が下なのだろうし――

 文春砲セクションの構成員自身もまた、そのことをコンプレックスに感じているだろうことは、誰でも簡単に想像つきそうではないか?

 そしてこれは、その他の雑誌・テレビ局など報道企業全般に言えることだろう。

 芸能スキャンダルの取材・報道に携わるということは、一般世間からだけでなく社内からも見下されるということなのだ。

(社内の人事異動には、こういう問題を解消するためという側面があるだろう。)

 

 確かに世間は芸能スキャンダルの話が大好きで、喜んでそれを見ているかもしれないが――

 しかし、では、そういうことを知らせてくれる人たちを尊敬して有り難がっているかと言えば、そんなことは全くない。

 これは、大昔に正月なんかに村へ来て“おめでた芸”を演じた門付芸人(かどつけげいにん)に比較してみればよいかもしれない。

 もちろん村人は門付芸人の芸を楽しみ、めでたいと思い、暮らしに不可欠な存在とさえ思っていたかもしれない。

 しかしだからといって、門付芸人を尊んだとか憧れのまなざしで見ていたとか、自分もこんな人たちになりたいと思うことはなかったはずだ。

 なぜなら門付芸人とは、被差別民のやることだったからである。

 
 文明の進歩と言うべきか――

 今の日本で門付芸人やそれに類する職業の人たちを「差別すべき卑しい連中」と見なすことは、むしろ国民大多数の怒りを買う行為である。

 しかし逆に、文春砲やそれに類する芸能スキャンダルの報道者たちを「差別していい卑しい連中」と見なすことは、国民の半分くらいが賛成すると思われる。投票すれば、たぶんそうなる。


 これは想像に過ぎないのだが……

 文春砲の関係者らは、自分が文春砲に携わっていることを、部外者には口外していない(できない)のではなかろうか。

 さすがに家族に隠すことはできないだろうが、親戚らには文藝春秋社に勤めているとは言っていても、文春砲の関係者だとは言っていないような気がする。

 週刊文春の編集部にいるとは明かしても、文春砲とは別のセクションにいると嘘をついている気がする。

 そしてもし彼らに息子や娘がいて、自分の親が文春砲の関係者だと知っているとしたら――

 息子・娘はそれを恥じ、隠し、反発しているような気もする。

 それに対して親本人は、「仕事だから仕方ないんだ」とか言っているのではないだろうか。


 政治の世界では「働き方改革」というフレーズが盛んだが、

「世間から“賤業”と見なされる職業をどうやってなくしていくか」というのは――

 決して語られないテーマではあるが、働き方改革の中でも最大級・最難関のテーマだと思う。

 そして文春砲はじめ芸能スキャンダル報道業というのは、賤業視から脱却する可能性がほとんどない職業の一つのように思える……