それほどまでの大事件ではない――他の大ニュースの陰に隠れてしまう――が、地味に興味深い事件というのはあるものだ。
最近、「宮内庁関係者を名乗り、宮内庁に献上すると偽って農家から桃を集めた」容疑で75歳の男性が逮捕された事件は、その一例である。
(⇒ 朝日新聞 2023年7月28日記事:自称「宮内庁関係者」、詐欺未遂の疑いで逮捕 桃の皇室献上持ちかけ)
(⇒ 朝日新聞 2023年8月2日記事:「宮内庁献上品」茨城県筑西市広報紙も誤る 「何が目的」と農家困惑)
これは悲喜劇と言ってよいだろうが――
上記引用記事のとおり、茨城県筑西市は2020年9月号と2022年4月号の市広報紙で、4人の農家・加工業者のことを
「筑西市から皇室へ」
との見出しで報じている。
2020年9月号などは、堂々たる大文字での表紙である(笑)
しかも、彼ら4人と市長との記念写真も掲載されたという。
これはもう、誰にとっても――広報紙を作成した人も含め――痛恨の黒歴史である。
それにしても思うのだが、およそちょっとでも法律の勉強をしたことがある人なら、
「皇室に個人が何かを献上することは、非常に難しい(できない)」
ということを何かの記述で見たことがあるだろう。
それは皇室経済法の絡みで、皇室が財産を取得するには国会の議決がいる、とかいう話だったと思う。
しかしそんなことは知らなくても、「個人が皇室へパソコンを、高級車を、宝飾品を、土地を献上する」ことができるなどと聞いて素直に信じる人は、まずいないだろう。
だがどうやら、それが農産物となると、割と素直に信じる人が多数いるように思われる。
これは「天皇と農業の結びつき」イメージが、21世紀の今に至るも衰えぬことを示しているようでまず興味深い。
そしてもう一つ興味深いのは、農家や加工業者が本当に自分たちの農作物が皇室に献上されたと信じるのはまだしも――
それを「疑うことなく」自治体が広報紙に(堂々たる一面表紙で)掲載し、市長との記念写真も載せるという「確認のなさ」だろう。
先述のように、ちょっとでも法律を学んでいれば、
「個人が市も県も通さず、個人的にモノを皇室に献上する」
なんてのが容易でないこと、そんなことがあるならば世の中にはもっともっと「皇室献上品」「宮内庁御用達」の品が溢れ、頻繁にニュースになっているはずであること、などはすぐにピンと来る。
そして広報紙を発行する自治体の部署の、誰一人ピンと来なかった――市長以下、一人も疑問に思わない――なんてことは、ほとんどあり得ないことに思える。
もっとも私は、だから筑西市はダメなんだと言うつもりはない。
この詐欺をした75歳男性は、宮内庁からの献上のお礼の品として「皇室からの木札」を届けるなどしていたらしい。
その写真をまた福島県福島市は市内の道の駅に掲げ、「献上桃」と宣伝していたのだが――(笑)
たぶん筑西市役所に「自分とこの農作物が皇室に献上された!(広報紙にぜひ掲載を!)」と喜んで知らせに来た生産者は、その証拠としてこの木札(の写真)くらいは持ってきたのだろう。
そうすると、それ以上の証拠の品は求めないのが人間というものである。
なぜなら、それ以上「疑うこと」「確かめること」は失礼であり、相手を激怒させるかもしれないと恐れるのが普通だからである。
「そんなに簡単に皇室にモノは献上できないはずですよ」と言おうものなら、「せっかくこんないい話を持ってきたのに何だ!」と激怒しそうな人は世の中にゴロゴロいるものである。
「宮内庁の受取証はないんですか?」と聞いたとすれば、「そんなものはもらってない。宮内庁が献上品にそんなの出すの?」と反問されるのがオチである。
そして誰も(たぶんあなたも)、宮内庁が献上品に受取証・領収証を出すかどうかなんて知らない。
じゃあ宮内庁に電話をかけて(メールして)確かめてみようなんて、これまたほとんどの人は思わないし、思ったとしても二の足を踏む。
宮内庁に連絡を取ってみようなんて、普通の人間はまず考えたこともないからだ。
そういう意味ではこの詐欺師、詐欺師としてはなかなかいい点を突いてきたということになるだろうか。
しかしまぁ世の中では、「この自分を疑うのか」と思われることを恐れる――
ということが原因で、ずいぶん多くの詐欺やトラブルが発生しているのだろう。
疑問を表明すること、確認を求めることが失礼で非常識だという感性は、いまだ……と言うより、史上かつてなく日本社会を席巻しているのかもしれない。
そしてもう一つ、言うまでもないが――
いまだに「皇室献上品」「宮内庁御用達」というブランド名に惹かれる人は、発信者にも受信者にもとても多いのだと再認識せざるを得ない。