6月22日、国立青少年教育振興機構は「高校生の進路と職業意識に関する調査」を公表した。
調査対象は、日本・韓国・中国・アメリカの4か国の高校生。
その中で日本の高校生は「働くこと」のイメージについて、7割が「生活のため」と答え(4か国中ぶっちぎりで最多)、2割が「楽しい」(かなりの差で最少)と答えているらしい。
(ただし、複数回答ではある。)
この結果は、意外でも何でもない。
大人の(社会人の)日本人こそ世界最高レベルで「仕事」を嫌っている人種だという調査結果が出ているのは、既に何年も前の話だからである。
むしろ驚くべきは、「仕事が楽しい」とイメージしている高校生が、2割「も」いるというところではないか。
仮に「イメージ」でなく「何のため仕事をするか」と問われれば、日本人なら誰でも――9割以上が――「生活のため」と即答するに決まっている。
これは世の常識であり、良識でさえある。
いったい皆さんは、「生活のため」以外の答えがあり得るものだと思うだろうか。
「楽しいから」「楽しむため」仕事をする――なんて答えるのはいったいどこの誰なのか、そいつは特権階級の貴族じゃないのかと思わないだろうか。
もちろん「まともな」大人の日本人は、仕事が楽しいなどとは思っていない。
それは生活のため仕方なくやるものであり、面白くなく詰まらなく、嫌なこと辛いことメンドクサイことの連続だと思っている。
「仕事が楽しい」などと本気で言おうものなら、変人・狂人扱いされても仕方ない――
というのが言いすぎなら、少なくとも「敬遠すべきズレた感覚の人」みたいには思われるに違いない。
そんな中で、いまだ2割もの高校生が「仕事は楽しい」とイメージしているというのである。
ああ、この2割の高校生たちはどこまで幼いのか、世間知らずなのか、ノー天気なのか……
と、むしろこっちの方が「嘆かわしい」と感じる人が多いのではないか(笑)
そう、「仕事は楽しくない」「楽しいわけがない」「生活のため仕方なくやること」だというのは、日本人の常識である。
それなのにヨソの国では、第2位の韓国でさえ「仕事は生活のため」と答える人が32.4%しか――日本の半分しか――いないのである。
これはやっぱり、「日本の常識は世界の非常識」と言うべきなのだろう。
あるいは、「また出た日本のガラパゴス化」とも言うべきだろうか。
高校生相手の調査でもやはりまた、日本人は他国より突出して「労働忌避」の国民性を持っていることが示された。
ほんの数十年前まで「ワーカホリック」「働きバチ」「エコノミックアニマル」などと呼ばれていたのが、嘘のような変貌ぶりである。
しかしそれでも、日本人はこう思わずにいられないのだ――
韓国人も中国人もアメリカ人も頭がおかしいんじゃねぇか、
仕事が楽しいわけないだろ、
そんなこともわからないほど(感じないほど)あの連中はバカなのかノー天気なのか、などと……
実際日本人としては、どうして世界の人たちは「仕事は生活のため」と日本人のように感じていない(らしい)のか、理解できなくなっていると思う。
仕事が楽しいなんて、面白いなんて、どうして思えるのかわからなくなっていると思う。
しかし現に、この調査結果は――
世界的に見て異常なのは日本人の感性の方だと、異常なのは「日本における仕事・労働」の方だと、またも明白に示していると思われる。
かつて、ほんの数十年前、
「欧米人は労働を神に課せられた苦役と考えるが、日本人は神に与えられた使命と考える」
みたいな比較が、堂々と言われていたものである。
しかし21世紀の今、それは本当に完全に逆転しているように見える。
現代日本人は、労働を嫌悪する。
しかしやらなくては生活できないから、仕方なくやるものと心の底から思っている。
これは一種の、道徳観ですらある。
「仕事は楽しい」なんて聞かされれば、反射的に反発し、それどころか反道徳的な響きを感じずにいられないのだ。
いったい高度経済成長期以後の日本人に、日本の仕事・労働というものに、何が起こったのか――
それは歴史学的に、かなり興味深いことだと思うのである。