プロレスリング・ソーシャリティ【社会・ニュース・歴史編】

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「日本人男性の共感力が低い」のは人への恐怖・警戒感によるものだろう

 日本人男性はモテない、ダメだ、特に女性との付き合い面で劣等人種である……

 というような論は、日本でかなりポピュラーなものである。

 それは一種の「定説」になっているかのようで――

 ことに「日本人男性は共感力が低い」「女性の気持ちに寄り添わない」というのは、ほとんどステレオタイプ的な前提のようになっている。

(⇒ 2023年5月22日記事:日本人男性がモテないのは共感力が低いから?欧米と比較してわかった3つの違い【第222回】)


 上記引用記事では、外国人男性(と言っても欧米男性に限る)の女性への共感力が高い理由の第一として、「レディファースト文化が徹底しているから」を挙げている。

 

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 日本人女性が海外旅行に行ったときに驚くことの一つとして、日本では考えられないようなジェントルマンがあちこちに現れるんだそうです。

 重い荷物を持っていたら当たり前のように手伝ってくれたり、出入り口では女性が通るまでドアを開けて待っていてくれたり、エレベーターやエスカレーターは女性が先に乗るのが当然だったり。

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 さて、では日本人男性にレディファースト文化が根付いておらず、従って共感力が低い・女性への寄り添いが足りないというのが事実だとして――

 なぜ日本人男性は、そういう風な女性への気遣いをしないのだろうか。

 それは極論すれば、「人に気遣いを見せることへの恐怖・警戒・懸念」による、と考えるのは間違いだろうか。

 そういう恐怖・警戒・懸念こそ現代日本の「文化」である、とするのは的外れだろうか。


 ほんの少し、脳内シミュレーションしてみよう。

 見ず知らずの女性に見ず知らずの男性が、「荷物が重そうだから持ちましょう」と話しかける。

 これを極めてリスキーだと思わない現代日本人は(男女を問わず)、もう現代日本人とは呼べないのではないか。

 ここでは、「ひったくり」という要素は除外して考える。

 しかしこの「見ず知らずの相手にそんな風に声をかける」ということ自体が、現代日本でははなはだしく「常識外れ」な「迷惑行為」として社会文化になりつつある……

 と、あなたは思われないだろうか。

 赤の他人の日本人男性が、行きずりの日本人女性に「荷物が重そうだから持ってあげましょう」と声をかける。

 ここで日本人女性が「結構です」「大丈夫です」と、笑顔ではなく迷惑そうな・拒絶的な反応を見せるのを想像できない人は、よほど想像力とか人生経験が足りないのではないか。

 私も人生経験が豊富というわけでもないが、それでも新幹線の中とかでそういう反応をする女性というのは何人か見たことがある。

 そしておそらく、「欧米へ行って欧米人男性にレディファーストされて感動する日本人女性」というのは、日本人男性に同じことをされたら迷惑がる――

 そう想像することは、あまり間違ってはいないと思うのだ。

(⇒ 2016年5月29日記事:オバマ大統領の広島訪問と被爆者抱擁 「日本人がやっても日本人は感動しないが、外国人がやると日本人は感動する」法則)


 現代日本において、特に若い日本人女性にとって、「赤の他人から勝手に話しかけられない」というのは、まるで憲法学で言う「新しい人権」の一つのようなものになっているのではあるまいか。

 赤の他人に話しかけられるのは、基本的に迷惑なのである。

 重い荷物を持っていようと自分で何とかするんだから、ほっといてくれと思うのがスタンダードなのである。

 それは日本人男性の方もわかっているので――そして、下手すれば「なんだこのキモメン」と思われるリスクも重々承知しているので――、声はかけない。

 これが日本人男性にレディーファーストがない理由(の一つ)だとするのは、間違いだろうか。

 そして私は、いつも思うのだが……

 日本人男性や欧米人男性がこうであるとして、いったいラオス人男性・インド人男性・ブラジル人男性・アラブ人男性らはどうなのだろうか。

 こういう話題のとき、そういう地域の男性たちがいつも完全スルーされているのは気のせいだろうか。

 まるで「対象外」「人外」扱いされているように思えるのも、気のせいなのだろうか……