いつか誰か絶対書くだろうと思っていた本が、やはり書かれた。
『「させていただく」の語用論 人はなぜ使いたくなるのか』(ひつじ書房、著者:法政大学教授・椎名美智)
である。
これは(読んでないけど)まさに書かれるべくして書かれた本であって、
現代日本で「バカ丁寧」「慇懃無礼」の象徴中の象徴、違和感中の違和感とは、まさにこの「させていただく」語法だからである。
なぜこんな、誰が聞いても「へりくだりすぎ」「おもねりすぎ」な語法が、猫も杓子もまるで正式用法のように使われて一世を風靡したのか――
それはやはり、「ヘンなヤツ対策」の一言に集約されるだろう。
周知のとおりいるのである、ここまで「へりくだらないと怒り出すヤツ・不快感を示すヤツ」というのが。
そしてまたこれは、例の歴史法則を示してもいる。
すなわち「平和が続くと世の中は貴族化する」、何でもかんでも繊細に丁寧に、繁文縟礼化し柔弱化するという法則のことだ。
もちろんこれは、みんながそれを「いいこと」だと思うから進行していく。
中国の遊牧民や半農半猟民族が建てた国だって、みんなそういう風になっていった。
現代日本だって、当然その例外ではない。
いまや「えーと、あの女の人」と言うことすら避けるべき時代である。
ここは意識的に、「えーと、あの女性の人」と言わねばならないのである。
なぜなら放送業界で「女」と呼ぶのは、犯罪者の女だけだからだ。
逮捕されたら「女」で、そうでなければ「女性」と言わねばならない――
これは放送業界というたかが一業界での内規に過ぎないのだが、しかしその内規は非常に影響力があり、まるで正式の法律であるかのように国民の意識を規制している。
「逮捕されたら女と呼び、そうでなければ女性と呼ぶ」……
これは今の日本において、「民間法律」とも言うべきほど「正義化」した語法だろう。
それに比べて、「させていただく」が使われなくなるのは比較的近未来のことだと思われる。
なぜなら少し前ごろから既に、この語法はむしろジョークのタネに近い扱いをされているからだ。
これはもう仲間内の話では「かしこまった物言い」を戯画的に表す語法であって、やがてビジネスマナー的にも「ふざけてる」と受け止めるのが普通の状態になりそうではないか?
その一方、もうすぐ放送禁止用語になりそうなのは「雌雄を決する」という言い方である。
この言葉、主にスポーツ(その中でもプロレス・格闘技)の分野でよく使われる。
しかしもちろん、誰が見たってこれは「ジェンダー平等違反」である。
「雌雄を決する」は、「雄と雌を区別する」という中立的な用語ではない。
言うまでもなく「勝つか負けるかを決する」意味であり、言うまでもなく「雄の方が勝つ方」なのだ。
予言しておくと、「雌雄を決する」がテレビ・ラジオから聞かれなくなる日は近い。
いや、今この時点でさえ放送禁止用語になっていないのが不思議なほどである。
「雌雄を決する」という言葉は、今後5年くらい以内に息の根を止められる、と予想してもさして間違いではないだろう。