2月17日、日本政府が「約束手形」を2026年までに廃止する方針を固めたことが判明した。
(⇒ 共同通信 2021年2月17日記事:約束手形利用26年までに廃止へ 下請けの資金繰りを改善)
言うまでもないが、これはなかなかのビッグニュースである。
手形――
それはかつて、そんなに遠くない過去、日本経済のまさに象徴であった。
いくら経済に疎い人でも、この世に「手形」というものがあるのを知らない人はいない。
「手形が落ちなくて破産した、倒産した」という言葉は、日本人なら誰でも聞いたことのあるフレーズである。
それほど手形は日本経済に密着した――
そしてまた例によって、日本独自の経済慣習・経済伝統であった。
だがその一方、近年ではバリバリの社会人であってさえ「手形の現物は一度も見たことがありません」という人は珍しくない。
何でも上記引用記事では、昨年「2020年の全国の手形交換高は134兆2535億円で、ピークの1990年から97%減少した」とある。
手形の使用が年々低下していること自体は社会人の常識みたいなものだったろうが、何とも凄まじい減少ぶりである。
逆に言うと、1990年比たった3%でまだ134兆円も交換されているのだから、かつての手形の盛行ぶりはまさに天文学的なものだったのだ。
しかしそれも、あと5年で廃止される。
近未来の日本人は、もう「手形」など何のことなのかわからなくなる。
手形と言えば「通行手形」と「文字どおりの手の形(を、墨汁とかで紙に押しつけたもの)」しか思い浮かばなくなり、まるで江戸時代の人間に回帰したかのようになる。
「手形割引」は今でも使いでのある資金調達方法だとは思うが、それだって今ですら「何それ?」と言う人は珍しくなく、やがてわからないのがスタンダードになっていく。
(その一方で、たぶん「小切手」は残るだろう。
手形に比べればはるかに簡単でわかりよく、要するに現金引換券だからである。
プロレスの優勝者への贈呈品としてよく使われているが、この慣習はこれからも残るだろう。)
手形はかつて、日本経済の象徴であった。日本の常識であった。
だがそれも、こうも簡単にその歴史を終える。
近未来の日本人は、「手形割引」「手形の不渡り」なんて言葉を、
まるで現代の日本人が室町時代の「土倉・酒屋」(当時の金融業者である)という言葉を聞くよう感じるのだろう。
「伝統」の末路は、かくもはかないものである。
tairanaritoshi-2.hatenablog.com