10月13日と15日という非常に近接した日に、最高裁は――
「正社員と非正規社員の差」という現代日本の大問題の一つに、立て続けに判決を出した。
13日の判決では、大学の元アルバイト職員が、賞与(ボーナス)の支給を求めて敗訴。
同日のもう一つの判決では、駅の売店の元契約社員が、退職金の支払いを求めて敗訴。
●扶養手当
●年末年始勤務手当
●祝日(割増)給
●夏期休暇(お盆)・冬期休暇(年末年始)
●病気休暇
が全て認められるという、
原告側が「完全勝利」「正直言って、認められるとは思ってなかった」と口走るほどの勝訴となった。
さて私は恥ずかしながら、日本郵便(郵便局)の契約社員すなわち非正規社員に、
年末年始勤務手当まで支給されていなかったとは、正直思ってもいなかった。
病気休暇なんていうのも、「当然」認められているのかと思っていた。
よって、これが最高裁へ持ち込まれるまで地裁と高裁で判断が二転三転したという経過も、ほとんど信じられないくらいである。
(あなたは、こんな手当や休暇が郵便局の非正規社員に与えられていなかったこと、知っていましたか? 意外に思いませんでしたか?)
今回、日本郵便の契約社員が「勝ち取った」手当や休暇というのは――
いわば「一般手当」「一般休暇」と呼んでも差し支えないものだと思う。
一般人から見て、「そりゃ、そんな手当や休暇はあるだろう。非正規社員にだってあるだろう」と思えるようなもの、という意味である。
そして逆に、最高裁が「非正規には支給しないでいい」とした「退職金」と「ボーナス」は――
おそらく一般市民の目から見て、「そりゃ、バイトにはそんなものないだろう。ないのが当たり前だろう」と思えるものなのではないか。
そういう意味で、最高裁の判断は……
それこそ法律や判決でよく目にする世の中の「社会通念」に従ったもの、と言っていい気がする。
そう、今の日本人の社会通念からすれば――
「一般手当」「一般休暇」を非正規すなわちアルバイトに認めるのは、別によい。
しかし「退職金」「ボーナス」まで認めてしまっては「正規」と「非正規」の区別がなくなっちゃうではないか、という「懸念」を反射的に抱いてしまうのである。
これはたぶん、最高裁の裁判官もそう思っている。
正規と非正規の待遇を全く同じにしてしまっては、企業活動・経済活動がおかしくなってしまう。
ハッキリ言えば成り立たなくなる。
そういう懸念もまた、社会通念に沿ったものである。
だからこれからも当分の間、非正規にボーナス支給と退職金が権利として認められる判決は出ないだろう。
(もちろん、個々の企業があえてそれらを与えるのは自由だが。)
非正規に一般手当と一般休暇を与えるのはよい、それは比較的少額だから。
しかし退職金とボーナスとなると、とてもそんな多額な出費をする余裕はない。
これが日本企業の、いや日本人自体の、一般通念・社会通念だということに、ほぼ間違いはないからである。