プロレスリング・ソーシャリティ【社会・ニュース・歴史編】

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「ベランダ喫煙訴訟」に見る「集合住宅には住むな」論

 マンションの下の階の住人がベランダで喫煙し、それを止めるよう抗議しても止まず、おかげで自分は心臓の病気を発症した――

 として下の階の住人に550万円の損害賠償請求をした事件につき、大阪地裁は「今回の件は不法行為に該当しない」として原告の請求を退けた。

(⇒ 産経新聞 2023年5月7日記事:「迷惑行為をやめろ」…ベランダ喫煙で訴訟に発展 煙たがられる「ホタル族」のリスク)

 この原告の人、大気汚染測定機器を3台(!)も購入してベランダに設置し、今回の判決があっても最高裁に上告するなど、極めて本気で本格派である。

 そして反タバコ派が「正義」の雰囲気である現代においては、原告に一も二もなく同情・応援する人の方が多そうだ。

 しかし、こういう事件で私が確実に言える、と思うことが一つある。

 それは「集合住宅には住むな」ということだ。


 前回の記事でも書いたが、現代日本人の最大のリスクは「人と接するリスク」である。

 ところが集合住宅では、もうプライベートな生活面からしてこのリスクを避けられない。

 単なるアパートならまだしも「隣は何をする人ぞ、誰が住んでいるかも知らない」で済まされるが――

 今回のようなマンションでは、たいていの場合「自治会」のようなものがあるはずである。

 それに顔を出さないということはもちろんあり得るにしても、いくらかの接点は持たざるを得ない。

 だいたい、こんなトラブル相手がごく身近に住んでいるということ自体、尋常ならざるストレスになるはずだ。

 そして言うまでもなく、両人がこんな身近に住んでさえいなければ、こんな事件は起こらなかった。


 世の中には「持ち家に住むべきか、貸家に住むべきか」という永遠の論争がある。

 しかし私にとっては答えは明白で、「持ち家に住むべき」である。

 「同じ建物に他人と住まなくてよい」というだけでもう、持ち家が圧勝だと思う。

 それはまあ、持ち家にだって欠点はある。

(片方があらゆる面で優れている、なんてことなら、最初から論争にはなりはしない。)

 
 特に「ヘンな奴」が近所に住んでいたら、持ち家だったら逃げようがないではないか――

 というのは確かにそうである。

 しかし、特に金持ちでもない人からすれば、貸家であってもそう簡単に引っ越しなんてできない(する気にならない)のが普通ではあるまいか。

 おそらく最適解――というか折衷案としては、「一軒家の貸家に住む」というのがベストなのだろう。

 そういう物件が(住んでもいいと思える物件が)なかなか見つからないのはネックではあるが、

「引っ越そうと思えば引っ越せる」

「他人と身近で接触しないでいい」

「プライベートを自由にできる」

「荷物の収納スペースも広い」

 などなどを考えると、一軒家の貸家というのは真っ先に検討すべき物件に思える。

 また、そういう需要が増えることは、言うまでもなく「空き家問題」の解消にもいくらかは貢献するのではなかろうか。

 それには、「マンションなど集合住宅に住むのは負け組」――

 みたいな通念を普及させること、

 「他人と身近で共同生活するのがいかに危険で不快であるか」

 を広く認知させることが効果的だろう。
 
 いや、もうすでに、そういう通念は広がっているかもしれない。

 私はこういうことに詳しくはないが、「一軒家の貸家」には、かなり潜在的需要があるものと思うのである。