プロレスリング・ソーシャリティ【社会・ニュース・歴史編】

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イギリス、EU離脱へ 「繋がりの時代」の終わり

 6月24日、イギリスの国民投票でEU(ヨーロッパ連合)からの離脱派が勝利した。

 投票率は77.2%、うち離脱賛成が51.9%を獲得した。

 まず思うのは、この投票率は日本では想像も付かないほど高いものであることだ。

 そして次に思うのは、得票率の半分をわずか1.9%上回るだけというギリギリの勝利であるということ――

 まさしくイギリス世論を真っ二つに割った、大変に関心の高い政治選択であったことがよくわかる。

 そして世界中の(投資家を含む)大半の人が「残留派が勝つだろう」と「楽観的」に見ていたようだが、予想が外れて株式市場は混乱しているようである。

 結局国民投票すれば残留派が勝つだろう、それで決定してしまえば離脱派を黙らせることができるだろう、と(たぶん)考えて国民投票に踏み切ったキャメロン首相は、さっそくに辞意を表明した。


 イギリス、フランス、ドイツの三国がヨーロッパの枢軸であることには、誰しも異論がないだろう。

 このたび、その一本が抜けることが決まった。

 とはいえ世界史好きの日本人であれば、「イギリスはヨーロッパ本土とは少し違う。イギリス人はヨーロッパ大陸とは距離を置きたがっている」というイメージを持っているものと思う。

 だから今回の投票結果は、「やっぱりイギリス人はそうなのか」との印象をよけい強めることになっただろう。


 私には、イギリスの有権者の77.2%のうちの51.9%が決断したこの選択が、賢明なのか愚かなのか判断できる知識もない。

 移民問題とか何だとか、よくわかってはいない。

 しかしそれらの要因はひとまず置いて感じることは、これは「繋がりの時代」が終わりゆくことの世界的な表象ではないかというものである。


 「自分のことは自分で決める」ことを、否定する人間はいないだろう。

 「他人の決めたことに振り回されたくない」とは、誰でも思うことだろう。

 そして、「ある点では他人と協力するが、ある点では協力しない」というのは、人として国として当たり前かつ健全な姿勢というものではないだろうか?

 
 私はこのブログで何度となく書いてきたが、人類の最終到達点というのは、「意に染まぬ繋がり」を持たないでいい世界に生きることだと思う。

 よって現在存在する地縁とか血縁とか職縁とかいうのは、消えてなくなるべきものであるし実際消える方向に進んでいると思う。

 日本に住む我々にとって、若者の結婚願望が低下の一途を辿っているというニュースは、ほとんど日常茶飯事のようなものになっている。

 そんなニュースに憂慮や懸念や異常さを覚える人たちも、実のところ近所づきあいや職場の人間関係とかいったものを、ウザく避けたく思っているのではないだろうか?

 「繋がり」は大事だという人が、実際は近所づきあいを避けたがっている。

 隣の家・部屋に住んでいるのが誰かもよく知ってはいない。

 それは、今の日本の普遍的な光景あるいは心象風景と言ってもいいのではないか?

 おそらく、いや確かに、それは今の人間の願望なのである。

 結婚や恋愛といった、最も身近で希求すべき「繋がり」さえも持つのが煩わしい――または「そんなヒマはない」のである。

 
 分裂するのは人類の未来であり、最終的には人間個体の一人一人にまで解体されることになろう。

 他ならぬ人間自身がそうなること、そんな世界で「自分の望む人間」とだけ交わることを願うだろう。

 これは昔の言葉で言えば「王道楽土」というものである。

 意に染まぬ繋がりを強制されないで生きることは、人類の普遍的な願いである。


 イギリスのEU離脱は、もちろん歴史的・国際政治的にエポックメイキングな出来事ではあるが――

 それと同時に、人類の精神史的なターニングポイントとみなされてもおかしくはない、と私は思う。

 統合の時代は終わり、分裂・分岐の時代が始まる。

 むろん何年・何十年後かに再びイギリスがヨーロッパ連合に復帰する可能性も大ありなのだが、それでも人類が「繋がりの解体」に向かう超長期的な趨勢は変わるまい。

 当然ながら日本も含め、国と国の間どころか同じ国の国民どうしでさえも、階級的にも思想的にも分裂の度を深めていく。

 そして最終的には、個々の人間の「好み」「性格」に――つまり人間一人の単位にまで分解される。

 繰り返すが、人間自身がそれを望むから、今も実は願っているからである。