プロレスリング・ソーシャリティ【社会・ニュース・歴史編】

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同性愛者に銃乱射 尻馬に乗るイスラム国と、宗教にとっての「踏み絵」

 6月12日未明、米フロリダ州オーランドにあるナイトクラブ「パルス」――同性愛者が集まる場所――でオマル・マティーン(29歳)が銃を乱射し、50人を死亡・53人を負傷させた。(マティーンは警察によって射殺)

 アメリカ史上、最悪の銃乱射事件である。

 マティーンの父親によると、彼は近頃街中で男性同性愛者同士がキスをしているのを見て、激しいショックを受けていたという。

 しかしそのすぐ後の報道、6月14日付の朝日新聞の記事では、彼は当の「パルス」に頻繁に出入りし、デートに誘われた男性もいるという。

(この記事自体、「彼はゲイだったと思う」と端的な見出しが付いている。)

 そしてまた一方、マティーンは親族に対し同性愛者への嫌悪を語ってもいたとされる。


 事件が起きてからまだ間もない上、犯人の心理分析などしようとするつもりもないのだが――

 こうした報道だけを見る限り、やはり彼はゲイだった、ゲイ性向があったのだと思う。

 そして、そういう人が自己嫌悪を抱くのはよくあることだとも思う。

 こっそり麻薬をやっている人が、人前では麻薬常用者を激しく罵倒したりバカにする――

 これは、いかにもありそうなことである。

 麻薬をやっている自分に嫌悪を抱いているのだがどうしても止められず、だからこそ同類に対し嫌悪感と憎悪を向ける。

 これは、人間の心として標準的とも言えるものであり、小説なんかでも腐るほど取り上げられている題材ではないだろうか?


 もしかしたら彼は、何もなくとも今回のような凶行をやっていたかもしれない。

 しかし彼には、格好の触媒があった。「近頃はやりのイスラム国」である。

 彼は乱射直前に緊急通報番号に電話をかけ、イスラム国に忠誠を誓う内容の話をしたらしい。

 またイスラム国自身も6月13日、自前の通信社を通じて「今回の攻撃は、我々の兵士によるものだ」と犯行声明を出している。


 そして6月13日夜には、フランスのパリ郊外で男が警察官を刺殺、その家族を人質に取って警察官の自宅に立てこもり、警察に射殺される事件が起きた。

(警察官のパートナーの女性は死亡、男児は保護された。)

 彼もまた警察との交渉中、自分はIS(イスラム国)への忠誠を誓ったのだと言ったらしい。


 ところで私も、自分で記事を書きながら忘れていた(今回の事件を聞いてすぐに思い出さなかった)のだが――

 イスラム国に共鳴して銃を乱射したり刃物を振り回す連中が生じたのは、今回が初めてではない。

(⇒ 2015年12月6日記事:またイスラム国か。米カリフォルニア州の銃乱射事件)

(⇒ 2015年12月7日記事:またまたイスラム国か。英ロンドンの地下鉄駅刃物傷害事件)


 これは誰しも感じることだが、別にこれらの事件はイスラム国の直接指令によるものではないだろう。

 犯人が勝手にイスラム国に共鳴し、単独でやり、イスラム国はそれを追認して(ないし尻馬に乗って)「我々の兵士がやったこと」と言っているだけなのだろう。

 世の中と他人と自分自身に怒りを溜め込んだ人物にとって、イスラム国はうってつけの「犯行理由」になっている。

 まるでそれが流行りだからイスラム国の名を出しているように思わないわけにはいかない。

 まさに世界の「悪人ホイホイ」である。


 今回の事件でイスラム国は、LGBT(レズ、ゲイ、バイセクシャルトランスジェンダー)の人たちをはっきりと敵に回した。

 むろん以前からイスラム国の支配地域では同性愛者への残虐な処刑が行われていたわけだが、やはり先進国でそれをやればインパクトが段違いなのである。

 当たり前のことだが、イスラム国は多様な生き方を認めない。

 そして同性愛の問題については、「本来は平和を愛する寛容な宗教」としばしば言われる“まっとうな”イスラム教、そしてキリスト教もまた、そういう生き方を認めるわけにはいかないのではないかと思われる。

 いわば同性愛とは、宗教(世界的大宗教)にとっての「踏み絵」のようなものではないだろうか?


 そして私は同性愛者ではないが、はっきりとイスラム国はじめ同性愛を認めない/排撃するような宗教勢力に反対する。

 そんな宗教及びそれを支持する人々は、地球上から(いや宇宙から)消え去るべきだと思っている。

 「他人は他人、自分は自分」と思えないような人間は、人類にとって百害あって一利もないのだ。