8月27日、京都府警は、京アニ放火殺人事件の犠牲者25人の氏名を公表した。
これについて8月20日には、在京マスコミ12社の変種責任者会議が府警に「公表を要請」しており、
一方の遺族側は5人について公表を承諾、20人は公表を拒否した中での全公表であった。
そしてネット世論は賛否両論――
とは言いつつ、圧倒的に「否」の方が多いようである。
メンタリストDaiGoは自身のYouTubeの中で怒りを露わにし、
中でもお笑い芸人の小籔千豊はAbemaTVの番組の中で、「何が知る権利やねん」とまで言っている。
たぶん20年前なら、こうした意見を公然と言うことはできなかったろう。
そんなこと言えば「権力の犬」とでも言われたかもしれない。
時代は、やっぱり確実に変わるのである。
さて、犯罪被害者の実名公表は、是か非か。
これはもう、結論は出ているようなものだ。
もちろん「今の時代の雰囲気からすれば」、否に決まっている。
ただし例外は、遺族が公表を承諾している場合である。
そしてこういう雰囲気になった理由も、誰でも簡単にわかるだろう。
その理由とは、
「実名報道すなわち刑罰、もっと具体的に言えば『晒し刑』」
という通念が、日本に完全に定着したからである。
それが刑罰であるならば、実名報道されるのは加害者側だけとされて当然である。
晒されるべきは、加害者の方である。
おそらくマスコミも警察も、この風潮には抗えない。
いずれそんなに遠くないうち、被害者名は非公表というのが原則になるのではなかろうか。
そしてこの場合に大問題なのが――
遺族が承諾すれば実名報道していい、とは言っても、じゃあその「遺族」の範囲はどこまでか、ということである。
それは親・子の一親等までか。
いや祖父母・孫・兄弟姉妹の二親等までか。
いやいや、被害者の配偶者の家族まで対象になってもおかしくないのではないか。
被害者が未成年なら、両親の承諾だけがあればいい……
なんてことには、「遺族側」の感情として、いかにもなりそうもないではないか?
もし三親等や姻族までの全員のハンコがないと公表できない、とするならば、全員からハンコがもらえる可能性は極めて低い。
ひょっとしたらこの問題は、立法さえしなければならない問題かもしれない。
そんな「承諾」をもらう手間を考えれば、警察もそこまでメンドクサいことしたくないはずである。
マスコミも、実名報道して世論に叩かれるのはイヤなので――上層部はともかく、実務レベルの人はイヤに決まっている。実名報道が給料に反映されることはなさそうだから――、警察に公表を求める動きは次第になくなっていくはずである。
そして何のかんの言っても、被害者名が実名報道されなくなれば、それが当たり前になる。
思えば昔は、犯人の逮捕報道があったときは、苗字を呼び捨てにしていたものだ。
それが今は、苗字に「容疑者」を付けて呼ぶのが当たり前になった。
たぶんこの「被害者の実名報道問題」というのも、いずれ消えてなくなる問題なのだろう。