ここ数日の記事は、中国・ロシアのプロパガンダについてのヘタクソぶり・時代錯誤ぶりについて書いてきた。
その舌の根も乾かぬうちに、今度は11月28日に上海で開催中の日本アニメ系イベントで、歌集の大槻マキさんがアニソンを歌唱中に強制中断・降壇させられるという事件があった。
(⇒ 時事ドットコム 2025年11月29日記事:日本歌手の公演、強制中断 アニメイベント中止、文化排除本格化―中国)
これはまた、まるで日本の明治時代の「弁士中止!」を思い起こさせる出来事である。
そんなことなら初めから歌わせなければ良かったと思うのが普通なのに、この仕打ちである。
案の定、日本のネット界ではこれについて中国非難続出の状態だ。
特に事案がアニソンだから、ということもあるだろうが、さすがにこの仕打ちについて中国を擁護することは(よほどの中国シンパでも)極めて難しい。
それにしてもつくづく感じるのだが、どうして現代中国はここまで宣伝戦がヘタクソなのか。
現代中国もロシアも西側諸国の世論の分断を図っているとさんざん言われ、その脅威は大きなものだとしばしば言われているのだが、その割には何でこんなに逆効果的なことをやるのだろうか。
プロパガンダなり宣伝戦なりにおいて、やることが第二次世界大戦時代どころか明治時代レベルになってしまうのはなぜなのか……
これは中国やロシアの中においても、「なんでわが国はこんな下手を打ってしまうのか」と慨嘆する人たちが多いはずだが――
前回記事ではその理由として、「老害」というキーワードを挙げておいた。
しかしもちろん、それだけが理由であるはずがない。
その他の理由として有力なのは、まさに権威主義国家ならではというか、「貢献パフォーマンス」の蔓延である。
つまり、上層部への忠誠アピール・上の意向への同調アピール・お手柄アピールをしようと下がしゃかりきになる現象であって、その行動の目的は実は外側(ここでは日本)にはなくて内側(上層部ウケを狙いたい)に向けられている、というものだ。
考えてみれば今回の弁士中止ならぬ歌手中止というのも、最初から中止するよりはるかに強い劇的効果を狙ったものと勘ぐられる節がある。
もちろんその視野は、真の効果だの大戦略の見地などといったものからはほど遠い。
まさに儒教的に言えば、小人どものつまらぬ小細工ということになり――
また現代的に言えば、本当に多くの人がよく言う「無能な働き者」の害悪ということにもなるだろう。
もし私が――というか誰であっても――現代中国やロシアに助言するなら、もっと日本の世論の分断を図れるよう、日本の事情に通じた中国人を宣伝戦略の分野に登用するよう勧めるだろう。
が、それがなかなかできないことも、誰でもわかることではある。
日本の事情をよく知ると言えば、日本で数年くらいは生活したことのある中国人のことになるだろうが……
そういうのを重用したり抜擢したりするのは、「中の人」たちはしたがらない・我慢ならないものである。
それどころか「日本かぶれの潜在的裏切り者」としてハッキリ敵意を示すことも稀ならず、こんなことはたぶん権威主義国家に限った現象ではないだろう。
ただこれはターゲットたる日本にとっては幸いで、おそらく今後も中国では、かくも的外れで逆効果なプロパガンダ活動が行われ続ける……
ということが期待できそうではある。
儒教では女子と小人は養いがたし、と言うが――
女子はともかく、貢献パフォーマンスをとにかくやりたがる小人たちを統御するのは、「統制」という言葉で知られる権威主義国家にとっても、なまなかなことではないようだ。
国の大戦略を誤らせるのは小人の動きなり、小人の小才は常に物事を的外れな方向に導く……
これは権威主義国家やそれに類した組織にとって、極めて大きなアキレス腱でありリスク要因ということなのだろう。