「良い夫を止めました」
「妻とは別れていい」
「別れたら子どもの親権は妻に渡していい」
と宣言したそうで、それについて「偏差値29から東大に合格した」杉山奈津子(1児の母)氏が批判の記事を書いている。
これについて、思ったことが2つあるので書きとどめておく。
一つは、こういう話とか論戦はネットで夥しい数あるが――
それをまともに読んでいるまともな若い人たちにとっては、それはもう
「結婚・出産ってやっぱり負担が大きそう」
「家庭も子どもも欲しいけど、天秤にかけたらやっぱナシかな」
「自分のしたいことが制限されるのって、イヤ」
と感じるのが全くまともな感性である、ということだ。
特にネットをよく見る女性にとって、出産と子育てとは「災い」としか思えない人もたくさんいるのではないだろうか。
また男性の方だって、こんな気配りや制限が要求されるとなれば、ホトホト嫌気が差すのは実にまっとうな感じ方である。
それはもう未婚率も出生率も上がりはしないし、生涯童貞・生涯処女の割合が増え続けるのも納得である。
しかし確かに日本人にはまだ、
「夫や妻は要らなくても、自分の遺伝子を受け継ぐ子は欲しい」
という願望なり需要なりはあるだろう。
だから今後100年も経たないうち――
恋人や生涯のパートナーは「製造会社にカスタム注文して購入し」、
わが子は「製造会社に自分の遺伝子を送って作ってもらう」
時代が来ても、何の不思議があるだろう。
tairanaritoshi-2.hatenablog.com
こうすれば女性はわざわざ苦しんで産まなくても、出産と育児にまつわるいろんな苦労をしなくても、理想のわが子を得ることができる。
男性にとっても、子育てのために何かの趣味を諦める、なんてことはしなくて済む。
まさに万々歳のウィンウィン関係である。
需要があれば、それに応える社会になるのは自然の流れというものだ。
そして、二つ目に思うのは――
私は久しぶりにAERAのウェブサイトを見たのだが、なんとまあ「東大」関連記事が多いのか、ということである。
(今回の記事も東大卒のママさんが書いているのだが、そもそもこれは単発の記事でなく連載の一環である。
別に悪口ではないが、たぶんこの人、東大卒でなかったら連載を持つことには――つまりは商品価値を持つに至ってはいなかったろう。)
いや、これはAERAに限った話では全然なく、世の中には「東大ネタ」が夥しく氾濫していることに、あなたも気づかないはずはない。
テレビも雑誌も全てそう――
特に出版の世界では、
「東大生の教える●●」
「東大生の読む●●」
「なぜ私は/わが子は東大に受かったのか」
とか言ったタイトルの本がものすごく多く、今後もますます出てくるに違いない。
いやあ、世の人々の「学歴主義批判」というのは、いったい何なのだろう。
ほとんどの人が「エリートへの反感」を(聞かれもしないのに)口に出し、
「学歴なんて仕事には関係ないんだよ。勉強だけできてもダメなんだよ」とか仲間内で言っているというのに――
それも昨日や今日からではなく、何十年も前からずっとずっと言ってきているはずなのに、
2018年の現実は、やっぱり「東大」がモノをいうのである。
それどころか「東大産業」とも言うべきものが成り立っていて、もちろんそれを支えているのは、「東大」と名が付く本を買ったり、「東大」の肩書きのある人をオーソリティと捉える善良な庶民たちである。
どうやら学歴主義批判というのは、善良な市民が人前で見せるべきポーズであって「タテマエ」であり、ホンネではみんな学歴主義者のようだ。
(もちろんそんな単純ではなく、善良な庶民の心の中には、「学歴」や「東大」へのもっと複雑で倒錯した感情が絡み合っているのだろうが……)