プロレスリング・ソーシャリティ【社会・ニュース・歴史編】

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「人工彼女・人工わが子」の時代――だって、チョンマゲの時代は来たではないか?

 近未来の恋人は、自分から「こんなのが欲しい」とリクエストを出して企業に発注するものになる可能性は相当高い。

 以前の記事で、「恋愛・結婚はしたくないが自分の遺伝子は残したい」という人間の願いに、結局社会は応えることになるだろうと書いたが――

tairanaritoshi-2.hatenablog.com


 だったら自分の遺伝子を企業に送り、それを組み込んだ「わが子」を作ってもらえばよい。

 そうすればダウン症でも障害児でもなく、本当に自分の望むとおりの姿と性格の遺伝子後継者を持つことができるだろう。

 もちろんそれが男の子であれば、チビ・ハゲ・デブになる遺伝子は除去ないし休眠化させるに決まっている。

 それが女の子であれば、とにかくブスにしないことは絶対確実である。


 確かに、こういうことは人間の多様性を失わせる。障害者差別とも言われるだろう――

 しかしそれでも必ずそうなる(そうする)。何だかんだ言ったとて、これらは全て親の切なる願い(リクエスト)だからである。

(何なら赤ちゃん時代を抜きにして、初めから6歳くらいになったのを送ってもらう選択肢もある。

 それくらいの年齢なら、注文どおりに“製造”されたか注文者も確認できて安心だろう。)

 日本人男子の平均身長、及び日本人女子の平均美的レベルは、劇的に向上することが見込まれる。


 こういう時代が来るわけない? そんな社会は暗黒だ?

 いやいや、それが当たり前になってしまえば、別に暗黒とも深刻とも人間は感じないのである。

 そんな作り物の人間モドキと付き合ったりセックスするのは、不健康かつ退化である――

 しかし人工知能搭載の人間モドキは莫大な知識を基にウィットに富んだ会話ができるだろうし、健康的な自己意識も持っているだろう。

(もちろんそういうのを備えるのが人間側の需要だからである。こういう機能はごく早い段階で搭載されるはずだ。)


 言ってみれば人間は、自分好みの容姿と性格を持った、自分専属の「伴侶・秘書・アシスタント・執事・従僕」を持つことになる。

 民主主義の究極の形は「みんなが王になる、貴族になる」ことだろうが、ついにそれが実現する――

 みんなが自分にジャストフィットする「側室」や「パートナー」や「ボディガード」をカネさえあれば何人でも持つことができ、しかもその全員が自分を裏切ることがない。

 これは、過去のたいていの王や独裁者も望めなかったことである。

 もっともこういう世界が実現すれば(するに決まっているが)、難しい問題も必ず出てくる。

 人工人間が、天然人間とまるで変わらない(ただし、ブスが絶無である点は違う)容姿と心を持つのなら、もうそれは天然人間と同じ「人間」であって当然に人権を持つべきではないか?

 だがしかし、天然人間への絶対服従・絶対忠誠・絶対愛情をプログラムされているのなら、それでも人間と言えるのか?

(このあたり、古代世界の奴隷論議が数千年の時を超えて再燃しそうである。)

 
 ただ、もはや男は女に気を遣わないでよく、女は男に合わせないでいい、というのは、現代の大多数の人間にとって――

 特に日本人にとって、やはり歓迎されるべき福音ではないかと思う。

(韓国でも最近は男性の女性憎悪、女性の男性への反発が強まっているらしい――と、ネットで報じられている。

 ひょっとしたら「東アジアの資本主義国民」には、こういう傾向を見せる何らかの共通点があるのかもしれない。)

 もしこれが実現すれば、もう我々は「男は女におごって当然か?」とか「創作物の中の女キャラが弁当を作って差し入れるシーンは、性的役割を押しつけるものでけしからんのではないか?」などといった論議に熱くなることもなくなるだろう。

 人類の歴史は、人間が人間の願望を叶えてきた/叶えようとしてきた歴史である。

 自分好みの美人美男と真実の愛を育む――こういうことが人間の願望の中でも最上位を占めるに違いない以上、それはいつか必ず実現するし、結局は受け入れられもするだろう。
  

 またこういうことを考えるとき、いつも思うのは「チョンマゲ」の例だ。

 もし平安時代の人間に江戸時代のチョンマゲの写真を見せ(あるいは結って見せ)、「未来の人間はこんな髪型になる」と言えば、彼らは「そんなバカな髪型になるわけないだろ」と笑い出すに違いない。

 世界史的にも例のないあんなヘンな髪型が国民的に普及するなど、まともな感性を持つ人間なら「うん、ありそうだ」と決して思いはしないだろう。

 しかし、実際になったのである。そういう未来は現実にやって来たのである。

 そして逆に言うと、そんなにも普及しながらその「世の中の当たり前」はいまや全く消滅し、復活の気配もない。

 出逢いも遺伝子継承も運任せである今の時代を振り返り、後世の人が奇異に感じるだろうと予想しても、何の不思議があるだろう?


 「人工彼女(彼氏)」や「人工わが子」が普及することは、チョンマゲが普及することに比べればはるかに信じやすいものである、私は思う。

 もしSFにあるように人間がヒューマノイドに取って代わられることがあるとすれば、その世界における「女性」は、全員が美人であるに違いない。

 みんなの支持する美人資本主義による性淘汰――すなわち「ブスの絶滅」である。