6月14日、南米ペルー北西部のチムー王国(900年頃~1470年頃)の遺跡で、子どもの遺体109体が発見された。
雨乞いのためだか何だか知らないが、そのための儀式で生け贄に捧げられたようである。
まったく酷い話であるが、昔は世界中どこでもこの手のことをやっていた。
しかし中米・南米というのは、世界史の中でも最も遅くまで――そして最も大規模にこの手のことをやってきたことで際立っている。
中でも有名なのは、あのアステカ王国(今のメキシコ)の生け贄儀式である。
平段を積み重ねたタイプのピラミッドの頂上で、戦争捕虜や子どもなどを石のベッドに横たわらせて胸を裂いて心臓を取り出す。
死体は階段から落とし、それに人々は群がったという。(そして肉を食った。)
こんなのが百人単位・千人単位で行われていたというのだから、まさに社会的狂気である。
しかしもちろん、当のアステカ人やチムー王国人らは、これが狂気の沙汰だとは思っていなかったろう。
そんなこと言われたら怒り出し、これは神聖な、我々にとって大事な伝統だと抗弁したろう。
(生け贄になる子どもたちでさえ……)
さて、これは世界史をざっと見たことのある人(つまり、学校教育を受けた全員)が必ず感じたはずなことは……
ヨーロッパ、特にスペインが、こんな生け贄王国を滅ぼしたのは、実は「良かった」「イイコトした」のではないか、という疑問である。
むろんスペインが新大陸で暴虐支配の限りを尽くして(おまけに天然痘まで持ち込んで)、先住民を激減させた(中には本当に全滅した種族もある)ことは、よく知られている。
それはもう間違いなく「悪」とされている。
しかし、では、スペインが先住民王国と友好的な交易関係を結ぶ選択をしていたとして――
それはつまりアステカやペルーの狂乱の生け贄王国を存続させることになったということなのだが、それでいいのだろうか。
このことは現代世界でも問題なのであって、たとえばアフリカなどではいまだ女子のクリトリスを切除する「割礼」というものがはびこっている。
こんなのを残酷・野蛮と思わない人は先進国にはいないのだが、しかしやってる当人たちは「これが大切な伝統だ」と言い張るに決まっているし、口先だけでなく本当にそう思っている。
そしていまだ公然と女性差別を――女性は男性より劣っているとしている地域や個人は世界中にゴマンとあるが、もちろん彼らはそれが正しいと思っている。
(もちろん、当の女性さえもである。)
世界には色んな文化がある、それは互いに尊重し合い、共存していくことが大事なんだとは誰でも言うが――
しかしでは、クリトリス切除文化や「女は布で全身を覆え」文化、生け贄王国などの伝統文化も尊重し、共存すべきものなのか。
そうでないというなら、外の世界は彼らを地道に「改宗」させるべきなのか、それとも武力を用いてでもそんなことは止めさせるべきか。
だがそれは、昔のスペインがやったような文化破壊であり、かつ傲慢というものには当たらないのだろうか。
そして我々日本人は欧米人に対し、「イレズミ(タトゥー)なんかは野蛮でヤクザの象徴だから止めなさい」と根気よく説くべきなのか。
今でも精霊に捧げるために哺乳動物を生け贄にする人たちは世界中にいると思うが、そういうのも積極的に止めさせるべきなのか。
現代日本は、少なくとも口先だけでは、誰もが多文化共生主義者である。
しかしそれなら、以上の疑問にも答えを持っていなくてはならないだろう。
もし生け贄文化を堅持する国が、今でも存在しているなら――
アステカ王国やチムー王国がいまだ健在なら、たとえば「凶悪死刑囚のみを生け贄にする」くらいにソフトになっていたら……
多文化共生主義というのは、そんなに簡単気軽に賛同できない主義であるはずである。