プロレスリング・ソーシャリティ【社会・ニュース・歴史編】

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天皇陛下、「生前譲位」の叡慮 ― 現代は「戦後幕府」の幕末か?

 私にとっては、ものすごいタイミングでの大ニュースである。

(とはいえ、興味のない人にとってはどうでもいいニュースに違いない。興味がなければ何のニュースでもそうなる。)

 つい昨日と今朝、天皇がらみの2本の記事を書いたばかりのところだからだ。


(⇒ 2016年7月12日記事:三原じゅん子と“池上無双”―「神武天皇実在論」はトンデモ話なのか)

(⇒ 2016年7月13日記事:「戦後幕府」の終わりと「2050年の神武天皇」)


 現天皇(平成天皇)が、生前譲位したい旨を宮内庁関係者に伝えられたという。

 昔なら「叡慮が示された」と言うところである。

 現天皇は82歳――一般世間での定年が60歳ないし65歳であることを思えば、そして長老政治家と呼ばれる人たちのことを思ってさえ、とっくに引退していておかしくはない。

 この歳で全国のイベントに頻繁に出かけたり、それどころか国外に行くこともある――

 私ならたとえそれが物見遊山の旅であったとしても、「行きたくない。疲れる」と思うに決まっている。

 そしてこれが、大方の普通の人間の感覚だろう。


 ところで日本国憲法を読んだ/習ったことのある人なら誰でも気付いただろうが――

 日本国憲法によると、天皇は国事行為を委任するか、または「摂政」を置くことができたはずである。

 現代の憲法の中にただ一つ孤立して「摂政」などという歴史がかった単語があるので、これはどうしても印象に残るだろう。

 現天皇が高齢ないし体調不良で国事行為をこなせそうもないというなら、「譲位」でなくとも「委任」か「摂政設置」でよいのではないか?

 そこで、日本国憲法皇室典範を見てみる。


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日本国憲法

第4条1項 天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ、国政に関する権能を有しない。

   2項 天皇は、法律の定めるところにより、その国事に関する行為を委任することができる。

第5条 皇室典範 の定めるところにより摂政を置くときは、摂政は、天皇の名でその国事に関する行為を行ふ。この場合には、前条第1項の規定を準用する。


皇室典範

第16条1項 天皇が成年に達しないときは、摂政を置く。

    2項 天皇が、精神若しくは身体の重患又は重大な事故により、国事に関する行為をみずからすることができないときは、皇室会議の議により、摂政を置く。

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 なるほど、摂政を置けるのは「天皇が未成年であるとき」か「身体に重大な疾患・事故があるとき」のみらしい。

 高齢過ぎて国事行為を行うのが困難である(しんどい)、というのは「重大な疾患がある」ことには該当しないのかもしれない。

(しかしこれも、解釈次第で何とでもなるという気がするが……)

 では「国事行為を委任」するのはどうかというと、「法律の定めるところにより」と書いてあるが、その法律とは「国事行為の臨時代行に関する法律」しかないようなのだ。


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国事行為の臨時代行に関する法律

第2条 天皇は、精神若しくは身体の疾患又は事故があるときは、摂政を置くべき場合を除き、内閣の助言と承認により、国事に関する行為を皇室典範 (昭和二十二年法律第三号)第十七条 の規定により摂政となる順位にあたる皇族に委任して臨時に代行させることができる。

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 この代行は“いつまでできる”と期間を定められてはいないが、法律のタイトルからしてあくまで臨時的な期間(せいぜい1年くらいか)を想定しているのだろう。

 それを超えて代行が必要なようなら、「摂政を置け」ということである。

 しかし、それにしても、「譲位」というのはいかにも飛躍があるように思える。

 法律にはよくあることだが、

①「精神若しくは身体の重患又は重大な事故により」

②「国事に関する行為をみずからすることができない」

 の2つのうち「②にウェイトを置く」と解釈するなら、やはり摂政を置くことができそうではないか?

“重態でなければ、たとえ高齢であっても這ってでも国事行為をしろ。イベントに行け”というのは、あまりに非人道的な解釈だからである。


 ところで私もそうなのだが、日本国憲法の解説書を読んだり講義を聴いたことのある人は、「今の憲法の下では、天皇は生前譲位を許されていない」と習ったのではなかったか?

 ただ今回の“叡慮”を受けた報道で、そんなことをハッキリ言っている報道はないようである。(まだ1日も経っていないが)

 しかしこれ、反天皇論者・護憲論者・左翼にとっては、看過しがたい憲法違反・憲法無視の“天皇の独走”ではないだろうか。

 そして、こういう報道がされているのが「歯がゆくてたまらない」というのが、然るべき感じ方ではないだろうか。

 まるでいまだに「天皇の叡慮の前では、憲法など木っ端同然」と言わんばかりの世の雰囲気だからである。
   
 
 そして我々は、現天皇は「日本国憲法を遵守する気持ちが非常に強い」と聞かされてきた。

 それは太平洋戦争直後、まだ少年であった現天皇がアメリカ人女性家庭教師に教育され「洗脳」されたからだと言う人までいる。

 しかし今回の生前譲位の意志の表明は、そんな現天皇の印象を裏切るものであるとも思える。

 本当に憲法を重んじる気持ちが強いのなら、まず内閣に(宮内庁経由でももちろんよいが)摂政設置の打診をするのが普通ではないか?

 またそんな風に思われることは、現天皇にもわからないわけがないのではないか?


 ここで不遜ながら叡慮を察するに――

 おそらく天皇の心の中には、「国事行為をしたりイベントに出るのは、天皇本人でなければ国民が物足りなく思う/ガッカリする」という気持ちがあるのではないだろうか?

 報道で伝えられる「象徴としての務めを果たせる者が天皇の位にあるべきで、充分に務めが果たせなくなれば譲位すべきだ」との現天皇の言葉(考え)には、どうもそういう意識があるように思える。

 そしてやはりこのことには、一抹どころかけっこうな真理があると思うのである。


 さて私は、今回のニュースで「尊号事件(尊号一件)」のことを思い起こした。

 それは江戸幕府中期(の後半)、光格天皇が(天皇になったことのない)実父・典仁親王に“太上天皇上皇)”の尊称(尊号)を贈ろうと試み、松平定信の率いる幕府に阻止された事件である。(詳しくはウィキペディアを引いてほしい。)

 なお光格天皇とは今回の報道で言及されているとおり、「200年前に最後の生前譲位を行なった天皇」のことでもある。

 尊号事件は、ついに天皇の希望が叶わなかった事例である――

 しかしそれは、幕府の統制下にあった朝廷(天皇)がついに自己主張を始めた、江戸中期の際立った事例でもあると私は思う。

 そしてやがて江戸幕府は、尊皇思想の興隆に直面することになる。

 その帰結が江戸幕府の滅亡と明治維新の到来であったことは、言うまでもない。


 むろん「現天皇の生前譲位希望」と「光格天皇の尊号事件」とは、事の内容が全く違う。

 しかし何となく私には、それが“幕府”権威崩壊の予兆となった――これが言い過ぎならば「幕府衰退のほころびが見えた」とも言えようか――点において、共通したところがあると感じられるのである。

 未来の人間に、そう感じる人がいるように思うのである。

 今度は禁中並公家諸法度を定めた江戸幕府でなく、日本国憲法を擁する「戦後幕府」が崩壊する時が来るのだろうか?

 
 それにしても、生前退位後の現天皇が何と呼ばれるのか――

 「上皇陛下」か「太上天皇陛下」か、はたまた「先帝陛下」なのか。

 「摂政」にしてもそうだが、まさか2016年になってこんな言葉がリアルタイムの話題になろうとは、いったい昨日まで誰が想像しただろう。

 本当に世の中は、何がいつ起こるかわからない。

 自分が明日交通事故で死んでも何も不思議はないというものだ。


 なお、蛇足ながら一つ提案があるのだが――

 もし本当に生前退位が実現するとすれば、平成からの改元は「翌年1月1日」からにしてはどうだろうか?

 今の改元は、「天皇崩御日の翌日」に行なわれることになっている。

 元号の使用自体がそうだと言えばそうなのだが、そのうえ「年の途中から急に改元」となれば、我々の生活はかなりドタバタや不便を蒙るのである。

システムエンジニアの人なんて、特にそうだろう。)

 しかし生前譲位が行なわれるなら、その予定日(改元日)は事前に決められるわけである。

 むろんこんなことに前例はないが――しかし明治以前は“その年の1月1日にさかのぼって”改元されていた――、

 それを言うならここ200年間は生前譲位の前例もなかったのだから、やろうと思えばできないことはないだろう。

 天皇はやはりいまだに、日本社会の中で巨大な存在なのである。