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プロレスリング・ソーシャリティ【社会・ニュース・歴史編】

社会、ニュース、歴史、その他について日々思うことを書いていきます。【プロレス・格闘技編】はリンクからどうぞ。

「戦後幕府」の終わりと「2050年の神武天皇」

三原じゅん子 池上彰 池上無双 日本神話 天皇 日本史 古代史 トンデモ 参院選

 だいたい『古事記』『日本書紀』に記された日本神話は“天皇家の権威を高めるため作られた”と言われるものの、それを疑わせる記述もバンバン出てくる。

 天皇家の最高神である天照大神アマテラスオオミカミ)は、弟・スサノオの乱暴に怒り怖れ、天岩戸(あまのいわと)に籠もってしまう。

 世は太陽がなくなって暗黒になってしまったものだから他の神々は一計を案じ、女神であるアメノウズメにストリップしてもらい大笑いする。

(女性器を丸出しにして踊ったと、そう書いてある。)

 何事かとアマテラスがちょっと岩の間を開いたところを、怪力のタヂカラオがグッと開ききり、アマテラスは岩の中から出ることになって世には太陽が再び照る――

 有名なこのシーンだが、これってそんなに天皇家の権威を高からしめる話だろうか?

 また神武天皇の死後、その子らはたちまち王位を巡って殺し合うことになっているのだが、これがどうして権威を高めることになるのか――

 

 私は思うのだが、天皇家の権威を高めたいなら、こういう女性器丸出しのストリップや初代王者が死んでたちまちの後継争いなど、全部削除して然るべきではないだろうか。

(特に、オマ●コを機織りの梭(ひ)だの朱塗りの矢だので突かれて死んだ/傷ついた、だのという話が繰り返し出てくるのは何なのだろう。)


 こんな話をわざわざ“造作”して挿入するのは、極めて不自然かつ異常なことではないだろうか。

 私はこれは、記紀を編んだ朝廷官僚たちが、素直かつ忠実に当時の“言い伝え”を書き記したのだと解する方がはるかに合理的だと思う。

 特に、王が死んですぐ後継者争いが始まるというのには、極めてリアリティ(つまり史実性)を感じてしまう。


 また思うに、“神武東征”の物語が造作だとすれば、それはなかなかにスペクタクルなファンタジー史劇である。

 「紀伊半島縦断奇襲・近畿突入作戦」って、普通はあまり考えつかないルートでありストーリーだと思う。

 8世紀初頭の日本の朝廷に、そんなラノベ作家のような集団ないし個人がいたとは、かなり疑わしいことだ。

 そんなに創作能力があるのだったら、もっと多くの「小説」を残していてもよさそうなものだ。

 いや、8世紀の日本でできるのであれば、古代の世界のあらゆる地域でファンタジー小説が量産されているべきではなかったろうか?

 

 さらに思うに、神武天皇実在論をトンデモ論ないしアブナイ思想と見なすのは、「戦後幕府」の枠組みの感性である。

 戦後幕府は、1945年に成立した。

 そして成立以来、戦前(太平洋戦争前)の思想を危険思想として一貫して指弾してきた。ヤバいものと見なしてきた。

 神武天皇の実在を認めるなどということは、戦前の軍国主義と抑圧の復活を唱道するものに他ならない。

 それは「アブナイ歴史家」「右翼思想家・右翼左袒者」と見なされるかどうかの「踏み絵」であった。


 私はあまり年齢層で人々を一括りにしたくはないのだが、池上彰氏は今65歳――「戦後幕府」の中にどっぷり浸かって生きてきた人である。

 だからその感性が戦後幕府式のものであることは、かなり可能性が高いと思う。

 そして言うまでもなく日刊ゲンダイは、相当に左翼色の強いメディアである。

 だからこそ神武天皇の実在を説く人間に対し、「トンデモ発言」とか「化けの皮を剥がしまくった」などと書くのである。


 なるほど、もし神武天皇が実在したと立証されれば、現皇室に“ハクが付く”のは間違いない。

 もしかすると皇室の起源は卑弥呼の時代を超え、西暦元年あたりにまでさかのぼることだってあり得ないことではない。

 現存する王家の中ではぶっちぎりの最長記録を更新し、それこそ天皇の権威と尊さが増す(と人々が感じる)ことは確実である。

 よって戦後幕府の人間や左翼勢力が、何としても神武天皇実在論をバカにし否定したいのは当然のことだと言える。


 しかし、私はそうは思わない。

 神武天皇が実在しようが皇室の歴史が西暦紀元前にまでさかのぼろうが、今の皇室の存廃には何の関係もないことである。

 天皇家天皇制を廃すべきだと国民が思えばそうすればいいし、思うならいつかそうなるだろう。

 神武天皇がいくら徳の高い聖天子であったとしても、将来の天皇がどうしようもない人間なら人は愛想を尽かすだろう。

 別に神武天皇の実在を認めたから/立証したからと言って、天皇家をいつまでも保っておく義務が国民に生じるわけではないのである。

 天皇家の権威を高めたいからとか、軍国主義の再来を阻止したいからとか、そんな「願い」や「思い」なんて歴史研究にとってはどうでもよいことだ。


 私は正直、「神武天皇実在論なんてトンデモ説かつ危険思想」と反射的に感じる人を、「古い保守派」だと思う方である。

 日刊ゲンダイは言うに及ばず、もし池上氏が誰かから「神武天皇は実在すると思う」という言葉を意図的に引き出し「してやったり」と思っているとするなら――

 彼もまた、「古い保守派」に属する人物だと思う。

 ここで言う「古い保守派」とは、思考と感性が戦後幕府の枠組み内にある人、という意味である。

 戦後71年、ついにと言うべきかようやくと言うべきか、我々は

神武天皇が実在するなんてのは危険思想」

「そんなことを言う奴はトンデモな、おかしな奴」

 と感じる人間こそ守旧派である、という(戦後幕府時代から見れば)逆説的な時代を迎えているのかもしれない。


 そう、時代は変わる。同じ時代がずっと続くことは絶対にない。

 江戸幕府は約260年で滅んだが、1945年に始まる戦後幕府は果たしていつ倒れるだろう?

 時代の流れが江戸時代とは比べものにならないほど速いことを考えると、それはもう目前であってもおかしくない。

 そして天皇家の存続は決して予断を許さないものがあると思うが、しかしそれでも戦後幕府よりは長続きするだろうと感じる。

 「2050年の神武天皇」は、いったい我々にどんな存在として映っているのだろうか?