プロレスリング・ソーシャリティ【社会・ニュース・歴史編】

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皇室の異様な女子率と未婚率、そして眞子さまの脱出

 もうスキャンダルと言っても的外れではなさそうな眞子さまと小室圭氏の結婚話は、どうやら今年10月中にも入籍の方向で決まりのようである。

 これに関連して、現在の皇室の構成図が新聞各紙に掲載されている。

(共同通信の作成:皇室の構成図)


 これを見て誰もが感じるだろう異様さが、少なくとも2つある。
 
 一つは、異様な女子率の高さ。

 もう一つは、異様な無子率・未婚率の高さ。

 改めてこうして図を見てみると、皇室の存続が確かに危機に瀕していると思うと同時に――

 しばしば日本人のモデル家族・モデル一族とも言われる皇室が、

 まるで本当に日本人の先行モデルであるかのように「無子高齢化」「非婚化」を体現している

 とさえ感じないではいられない。


 何が何でも結婚したいという姿勢で、大勢の国民から批判を浴びている眞子さまだが――

 もしかしたら――こう言っては何だが、ありていに言えば――、自分の一族を見渡して「こうはなりたくない」と強く心に決めた面もあるのではないか、とも思ってしまう。

 
 それにしても本当に、皇室の女性たちはなぜこうも結婚しないのだろうか。

 今の日本の若者が結婚しない・恋愛しない要因として、最もよく言われるのは「経済的要因」である。

 しかしいくら何でも、皇室の人にそれは当てはまらないだろう。

 やはり「出会いがない」か、「ハナから結婚したい・恋愛したいと思わない」ということになるのだろう。

 少子化・無子化・非婚化・晩婚化という面で、確かに皇室は国民と共に歩んでいる。

 いや、先行リードしてさえいる。

 なぜ皇室の女性たちは(秋篠宮家を除いて)結婚しないのか、ということを本気で研究すれば、なぜ日本は少子化・無子化・非婚化が進むのか、という真因が解明できるかもしれない。


 そして、全く皮肉なことながら……

 皇室の無子化と絶家を防ぐのに最も貢献しているのは、他ならぬ国民からズタボロに批判されている秋篠宮夫妻に他ならない。

 皇室の中では唯一3人の子を成し、その最後の1人に唯一の次代の男子を得、他の2人の娘も何はともあれ結婚しようとしている。

 もし悠仁さま(この人も、今や悪口を言われる身になっているが)が生まれていなければ、

 それはもう誰がどう反対しようと、女系天皇を認めて皇室典範を改正するしかなくなっていたことだろう。 


 そういう意味では眞子さまの「結婚エクソダス」への揺るがぬ意思も、

 むしろ晩婚化・非婚化への果敢な挑戦と見ることができないわけでもない、のかもしれない……

 

小室圭氏の復讐「最強の反日日本人」の誕生?

 東京オリンピックの開催か中止か、に続く国民的話題――

 秋篠宮眞子さまと小室圭氏の結婚話は、どうやら年内に行われることに決まりらしい。

 結婚に伴う皇室儀式はナシ、一時金1億3700万円の支給もナシ、結婚後はニューヨーク暮らしということになるようだ。

 近く、両者の心境会見(と言うのだろうか)も行われる見込みとのこと。


 この結婚については、何だか日本人の9割くらいが反対の心境のようである。

 しかし「借金」問題だとか小室ママだとかそういうことは置いといて、ごく素朴に考えてみよう。

 小室圭氏は、日本国民総ぐるみといった感じでバッシングを受けた人物である。

 ここまで長期にわたり日本人からボロクソ叩かれて、恨みを抱かないなんてことがあるだろうか。

 その恨みは、骨髄に達しているとしても何の不思議があるだろう。

 この恨みは一生かけて返してやる、と心中固く決意するのがむしろ普通ではあるまいか。

 もちろん、ここまで叩かれてもなお日本のために何かしよう、折あらば何か言おう――

 というのなら、それは聖人の聖徳みたいな心である。

 そういう心を行動に示していれば、結婚から何年も経ちさえすれば(二人ともあと半世紀くらいは生きるはずなのだ)、日本国民はいつだって手のひら返しする用意があるはずである。

 実際、100年後には今回の「駆け落ち婚」騒動は、大いなる恋愛美談として称賛されていてもおかしくはない。

 が、私やあなたと同じように、小室氏がそんな聖人で聖徳の持ち主であるはずはないと思われる。


 さて、そうなるとどうなるだろう。

 小室圭氏は、例えゲタを履かせてもらったと見なされるにしても――

 痩せても枯れても、ニューヨーク州の弁護士になる見込みである。

 その心中には、日本と日本国民への深い憎悪と復讐心を抱えてである。

 たとえそうでなくても日本への好感などなく、あるのは不信感と疎ましさであるはずである。

(普通の人間なら、そうなって当たり前のことだ。)


 だとすれば、彼が海外在住の反日日本人――

 反日の志を持つ人物になるというのは、ごく自然なことだろう。

 これはなかなか、平成時代までには思いも寄らなかった展開ではあるまいか。

 日本人男性、しかも皇室の(かつてとても人気のあった)女性を妻に持つ人間が、反日の魂を持ってニューヨーク州で弁護士をする――

 これはもう、今までの反日日本人らとはレベルが違うと言わねばならない。

 「史上最強の反日日本人」と言っても過言ではない。

 いったいこんなことになろうとは、誰が予想できたろう。

 こういうことに驚かないのは、プロレスファンくらいのものだ。

 なにせ2000年代のプロレスファンは、あの「アントニオ猪木がプロレスの敵」だという、プロレスファン以外には何のことだかわからないような現実を見てきていたのだから……


 今後、小室圭氏は日本と日本人についてどんなスタンスを取るだろうか。

 鳴りを潜めてノータッチの態度を続けるか、

 それとも何かにつけて愛国的な言動を示し、「仲直り」しようとするか……

 しかしそうでなく、いずれ国際的な反日言論人のトップに立ったとしても、何も驚くことはない。

 まこと現実は、小説より奇なり――の世界である。

 

イスラム教タリバン派は「音楽禁止・歌手殺害」-世界の歌手は何も言わないのか

 大復活したタリバンアフガニスタンを制圧し、アメリカは予定どおりアフガンから撤退した。

 そしてタリバン(の、少なくとも所属兵士)は――

 コメディアン兼警察官(という組み合わせがアフガンではあったのである。日本でもいないのに)のナザール・モハメッド氏を殺害して木に吊した他、

 民族音楽の人気歌手ファワード・アンダラビ氏も銃殺したという。

 なんでもタリバンの報道官は8月25日付けのニューヨーク・タイムズのインタビューの中で、「音楽はイスラム教では禁じられている」と言ったらしい。

(⇒ ビジネスインサイダー 2021年8月31日記事:タリバン、人気歌手を殺害…「イスラムでは音楽は禁止」と述べた数日後に)

 

 私はイスラム教に詳しいわけではないが、イスラム教が音楽を禁じているとは初耳である。

 これって本当はどうなのか、世界のイスラム界のウラマー(学者)やファトワー(宗教令)の見解を、ぜひ聞いてみたいところだ。

 というか、聞いて然るべきだし、発信して然るべきではあるまいか。

 そしてタリバンの作るアフガン新国家には、当然「国歌」も「軍楽隊」もないことになる。

 タリバンのトップなり外交官を国賓として迎えるときは、もちろん音楽禁止だろう。

 世界にイスラム国家は多くあるが、そのみんなにそういう対応をしているとは思えないのだが……


 タリバンは「イスラム過激派」の一種だとされているが、もうここまで来たらイスラムタリバン派」と言った方がいいような気がする。

 要するに、現代イスラム教の異端の一派と見た方がしっくりくるのではなかろうか。  
 
 音楽はイスラム教で禁じられている、と解するのがその特徴の一つ――

 と、後世の歴史事典には書かれる気がする。


 それはともかく思うのだが……

 イスラムタリバン派のこういう見解や歌手殺害の行動について、

 世界の歌手や音楽家、特にセレブアーティストと呼ばれるような一流どころは、どういう見解を持っているのだろう。

 例のブラック・ライブズ・マター(BLM。「黒人の命も大事」)運動についてなどは、世界中のセレブアーティストの多くがツイッターやインスタグラムで熱い支持を表明したものである。

 そういうことやそれに準じる意見表明が、数多く報道されたものである。

 それなら今回のタリバン派のしたこと・言ったことについては、それ以上の熱い意見表明が彼ら彼女らからあるのが当然だと思われる。

 しかし「もちろん例によって」、そんなことは全然ない。

 一つの国で音楽が禁止されても、歌手(それも土着の民族音楽の歌手)が殺されても、セレブアーティストの皆さんには表明すべき意見はないらしい。


 もちろん私は、意地悪でこういうことを言っている。

 私も皆さんも、わかっているのである――

 「白人とキリスト教の悪口・批判は公然と言っていいが、

  イスラム教の悪口・批判を言うのはタブー」

 だということを。

 日本でも「キリスト教悪口本」はとてもたくさんの種類が店頭に置かれているが、「イスラム教悪口本」は一切ない。

 そんなことを発言する人もテレビにはいない。

 ついウッカリ失言した、出版した、ということも絶無なので、この「イスラム教を公然と批判してはならない」というのは、よほど大胆な言論人でさえ骨の髄まで染みついているタブーに違いない。

 そしてこれは日本に限らず、欧米も含む世界的タブーだということが容易に見て取れる。

 
 だが、そうだとしても――

 音楽が禁止されても歌手が殺されても、相手がイスラム教(の一派)となると、世界中のセレブアーティストらが(他のことには饒舌に投稿するのに)とたんに意見をSNSで発信しなくなる現象というのは、ある意味痛快である。

 日本でも「芸能人が政治的意見を述べてもいいじゃないか」という論は、ほぼ世間に支持されていると思われるのだが……

 芸能人なかんずく歌手の皆さんは、タリバン派について何の意見もないのだろうか。

 そりゃもちろん、何について意見を言うかはその人の自由ではあるが、

 「音楽は禁止だから歌手を殺す」

 ということについて意見がないとか、あっても表明する気がないというのなら、

 他の何について意見を言うことがあるのか、と感じるのは万人の意見ではあるまいか。